政経講義50 冷戦下の国際政治をわかりやすく⑵

政経

本単元のポイント
⑴ 緊張緩和の動き
⑵ 第三世界の台頭
⑶ 冷戦の終結

本まとめの用語表記

青下線ペン…西側諸国(米・英など)の事項
赤下線ペン…東側諸国(ソ連など)の事項

蛍光ペン…入試で抑えるべき重要事項

前回に引き続き、冷戦下の国際政治について解説します。戦後から発生した冷戦の構図や、主な代理戦争については「政経講義49冷戦下の国際政治⑴」で説明しましたので、参考にしてください。前回同様、アメリカを中心とする西側諸国ソ連を中心とする東側諸国を2色で色分けしながら解説していきます。

▼緊張緩和の動き

キューバ危機(1962)

関係改善への機運が高まったきっかけとなった出来事が、1962年に発生したキューバ危機です。どのような事件だったかまで理解しておきましょう。

事の発端は、1959年に発生したキューバ革命。カストロやチェゲバラという革命派が中心となり政権を打倒し、社会主義政府を樹立しました。これだけでは「米ソにどんな関係が?」と思うかもしれませんが、地理的な感覚がある人は何となくわかるはず。

キューバという国はアメリカ南部に位置する国で、歴史的にもアメリカの子分的存在であった。革命が起きた時も、当時の政府軍を支援していたのがアメリカでした。そんなキューバが引っくり返り、社会主義国となってしまった。社会主義と言えばソ連や中国の仲間であり、アメリカにとって敵となるわけです。

これをチャンスととらえたソ連は、早速キューバにミサイル基地の建設を計画します。目と鼻の先にある場所から狙われるのはアメリカも避けたいので、海上封鎖を行いソ連が侵入できないようにしました。ミサイルを撃つならこっちも容赦なく報復するぞ!という警告を発し、いつ核戦争が起きてもおかしくない状況になりました。

最終的にソ連のフルシチョフが譲歩する形で事なきを得ましたが、一歩間違えば第三次世界大戦となっていたでしょう。この事件を受けて、米ソ間にホットライン(直通電話)が設置されたり、PTBT(部分的核実験禁止条約)の締結によって米ソ間の軍縮が進んだりと、関係改善への動きが高まりました。これを緊張緩和(デタント)といいます。

▼多極化の時代(1960年代)

米ソ以外の台頭

米ソが対立して互いを削り合っている間、世界では米ソの争いに距離を置く国々が出現しました。ヨーロッパ諸国は結束を強め成長していきますし、日本も高度経済成長を通して経済力を付けたことで先進国の仲間入りを果たしました。また中国もソ連と対立し、東欧諸国の民主化運動が起こるなど、脱ソ連を目指す国が増えました。戦後「二極化」であった世界は、「多極化」の時代へ入っていきます。

両陣営の主な動きをまとめたので、参考にしてください。

多極化する世界

さらに同じころ、2大勢力のどちらにも属さない国が発言力をもつようになり、これらの国々は第三世界と呼ばれるようになります。

第三世界の台頭

第三世界とは、主にアフリカやアジアの国を指します。戦後に植民地から独立を勝ち取った経験から、支配を目的とする戦争に反対して「平和共存」を主張していきました。第1回非同盟諸国首脳会議が1961年に開催され、「平和共存」や「反植民地政策」を基本とした取り決めを進めていきます。この会議により団結を深め、現在でも定期的に首脳会議を開催しているほどです。今日の国際連合の中でも、大きな勢力を誇る組織となっています。ちなみにこの会議を呼び掛けたスカルノ大統領(インドネシア)の第三夫人は、タレントのデヴィ夫人で日本にも縁がある人物です。(※デヴィ夫人は純粋な日本人で、インドネシアへ秘書として送り込まれたことがきっかけで出会い結婚することになる。)

第三世界の動き

▼冷戦終結へ

新冷戦の時代(1980年代)

上の段落に書いたように、基本的には米ソ両国は緊張緩和路線に沿っていくことになります。いずれの国も軍事費が経済を圧迫し、軍縮条約も締結されるようになっていきました。しかし、1979年にソ連がアフガニスタン侵攻を行ったことで、再び両国に緊張が走ります。

ソ連が正当な理由なく主権国家を侵略したとして、国際的にも批判されたため、アメリカのレーガン政権もこれまでと一転して強行的な姿勢を取るようになりました。具体的には、アメリカが1983年に戦略防衛構想(SDI)を提示して、軍拡の姿勢を示したのに対し、ソ連はヨーロッパにミサイルを配備するなど、再び核戦争の危険が高まりました。

冷戦の終結(1989年)

このムードを一気に変えたのが、1985年にソ連の書記長に就任したゴルバチョフです。彼はペレストロイカ(立て直し)グラスノスチ(情報公開)という二本柱の改革で、これまで閉鎖的で経済も停滞したソ連を、根本的に改革しようと努力します。共産党による一党独裁も終了し、ソ連の一時代を築いた体制が崩れていきました。

これに周囲の東欧諸国も影響を受け、民主化改革が急速に進んでいきます。1989年にはドイツのベルリンの壁が崩壊し、翌年ドイツの統一が実現することになります。これらの改革を支持した米ソ両国は、遂に冷戦の終結を宣言することになるのです。1989年のマルタ会談で、ブッシュ大統領ゴルバチョフ最高会議議長による宣言でした。

「ヤルタ」で始まり、「マルタ」で終わるという、若干ややこしい会談ですが、覚えておきましょう。この後、民主主義の高揚によりソ連が消滅(1991)、11カ国の独立国家共同体(CIS)として生まれ変わることになりました。

また、この冷戦終結期の出来事の流れが分かりにくく、入試でも過去に出題されたことがあります。表にまとめたので参考にしてください。

▼まとめ

以上が冷戦下の国際政治史です。しかし、この後は平和になったか?というと全くそうではありません。これまで米ソに隠れていた火種が「地域紛争」として表面化したり、新たに核開発を進める国が出てきたりと、次々と問題を抱えることになりました。近年もロシアがウクライナ侵攻を進めており、冷戦期から続く関係が現代にも影響していることが分かると思います。

大学入試でもよく出る範囲ですし、特に私大入試での出題率が高い分野ではありますが、今後の国際情勢を理解するという意味でも理解を深めたい単元です。次のまとめでは地域紛争についてまとめます。より現代に近い話題になりますので時事問題対策としても活用してください。読んでいただきありがとうございました。

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