政経講義49 冷戦下の国際政治をわかりやすく⑴

政経

本単元のポイント
⑴ 東西対立の構図
⑵ 代理戦争の構図

本まとめの用語表記

青下線ペン…西側諸国(米・英など)の事項
赤下線ペン…東側諸国(ソ連など)の事項

蛍光ペン…入試で抑えるべき重要事項

今回からは、冷戦下の国際政治について解説します。第二次世界大戦が終戦したのも束の間、戦後の国際関係をどのように整えていくかについて揉めました。対立の構図としてはアメリカVSソ連(ロシア)。当時の世界を牽引していた2つの大国が対立したことで、他国も巻き込んだ分裂状態となります。険悪な関係が続いたものの、直接戦争には至らなかったことから、この対立を冷戦(冷たい戦争)と呼ぶわけです。

なお、東側諸国はソ連や中国といった共産主義国が多く、国旗が赤であることから、東側諸国を赤色、対する西側諸国を青色で表現していきます。普段の解説と色分けの仕方を変えていますのでご了承ください。それではポイントを紹介していきましょう。

▼東西対立の構図

対立のきっかけ

今回の登場国は主に戦勝国です。米ソ英中といった国々は、戦後世界をどのように管轄していくか、具体的にはヨーロッパ地域をどのように分割するかという点を議論していました。

強大な兵器を持つとされていたアメリカと、それに対抗できるソ連が覇権争いをしていた中で、ドイツの占領やベトナムの分割などを決定していきました。元々関係が悪かった両国でしたが、対立が表面化したのが1945年のヤルタ会談(米・英)と言われており、これが冷戦の始まりとなっています。その後、イギリス首相のチャーチルが演説の中で、「ソ連が東欧諸国を抱え込んだから、鉄のカーテンがかけられているように大きな壁ができてしまった!」なんて批判を言ってしまう。これで両陣営の亀裂はさらに深まり、数十年にわたる対立となっていきます。この演説を「鉄のカーテン演説」というので覚えておきましょう。今更ですが、なぜ東西対立・東西冷戦と呼ばれるかについては、地図を見てもらえば一目瞭然です。

このように、イギリスやフランスなどの西欧諸国は米国側につき、ソ連に近いポーランドやチェコスロバキアなどの東欧諸国は東側陣営に含まれました。そしてそのちょうど中間にあったのがドイツで、敗戦国となったドイツは西側が管轄する西ドイツと、東側が管轄する東ドイツに分裂しました。

+α ドイツもベルリンもそれぞれ分割されている
ドイツの首都ベルリンは、東ドイツに位置しているが、全てソ連が管轄していた訳ではない。この都市自体も米ソ英仏の4国による分割占領となり、米英仏側が西ベルリンソ連側が東ベルリンとなっていた。つまり西ベルリンの周りは全てソ連の管轄ということになる。
ちなみに、冷戦の象徴として有名な「ベルリンの壁」もベルリンの間に建設されたものであり、東西ドイツの間にあった訳ではない。勘違いしないように!

東西対立の構図

こうして始まった対立が、形として現れたのが1940年代後半のことです。米国が共産主義勢力が侵食しそうだったギリシャやトルコを援助する、トルーマンドクトリンを発表(1947)した。それに対抗してソ連が東欧諸国の共産党に協力を求めるコミンフォルムを結成(1947)する。経済面や軍事面においても同様に、それぞれの組織を強めることで互いを牽制する形になっていきました。以下の表は頻出事項なので、正確に覚えておきましょう。

▼代理戦争の構図

冒頭に述べたように、米ソが直接戦闘したことはなかったが、別の戦争でサポートに入ることで互いを牽制し合うことが複数回あった。これを代理戦争というが、主に起こった戦争について紹介していきます。

朝鮮戦争(1950~53休戦)

北緯38度線を境に朝鮮が南北に分裂し、軍事衝突が始まった。序盤はソ連が支援する北朝鮮が優勢だったものの、アメリカが「北朝鮮の侵略避難・韓国援助」の決議を国連に求め、アメリカを中心とする国連軍が韓国を支援。それに対し北朝鮮側に中国義勇軍が派遣されるなど、激戦と化した。多くの犠牲者を出しながら1953年に休戦となっている。

朝鮮戦争の構図

ベトナム戦争(1965~本格化)

時代はこれまでの内容とずれますが、代理戦争として抑えておきたい大きな戦争がベトナム戦争。戦後南北に分割され、ソ連中国と親しいベトナム民主共和国(北)と、アメリカと親しいベトナム共和国(南)の対立が続いた。1965年にアメリカが空爆を開始したことで本格化したが、1975年に終結している。

代理戦争の影響

多くの国を巻き込んだ代理戦争は、両国の溝をより一層深めただけでなく、軍拡競争を加速させることにも繋がった。互いを抑止するために核兵器開発を競い合う流れになり、歯止めが効かなくなっていた。第二次世界大戦から続く戦争により、多額の軍事費がかかったため、両国の財政を逼迫させていた。

徐々に関係改善を図る動きも見られるようになったのが、1960年代以降のこと。この動きを緊張緩和(デタント)というが、国際情勢がどのように変化していくかについては次の解説でまとめていきます。

▼まとめ

大学入試でもよく出る範囲ですし、特に私大入試での出題率が高い分野です。ポイントを確実に抑えておきましょう。次のまとめで現代まで解説していきますので、少々お待ちください。読んでいただきありがとうございました。

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             政経演習40冷戦下の国際政治⑵
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