政経演習39 冷戦下の国際政治⑴

政経

共通テストの過去問を中心に演習問題を掲載しています。
解答・解説も含めて、参考になれば幸いです。

問1 冷戦の一つの極であったソ連についての記述として正しいものを,次の①~④のうちから一つ選べ。

① ソ連は,ロシア革命をうけて成立した。
② ソ連では,計画経済が廃絶された。
③ ソ連では,フルシチョフ政権の下でグラスノスチが推進された。
④ ソ連は,東欧諸国での自由主義体制の放棄をうけて解体した。

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解答➀ 【解説】➀ロシア革命が1917年に起こり、同年にレーニン率いる社会主義政権が誕生した。➁ソ連の社会主義経済では計画経済を実施していた。③グラスノスチを推進したのはゴルバチョフである。④ソ連解体は、ゴルバチョフが共産党の解散を宣言したことで起きた。その後、旧ソ連を構成していた11共和国(+α)によって独立国家共同体(CIS)が形成された。

問2 1980年代前半は米ソ関係の緊張が一時的に高まった時期であり,80年に開催されたモスクワ五輪において西側諸国のボイコットなども起こった。緊張が高まるきっかけの一つとなった事件として最も適当なものを,次の①~④のうちから一つ選べ。

① 米ソ間でキューバ危機が発生した。
② 東ドイツがベルリンで東西を分ける壁を構築した。
③ ソ連がアフガニスタンに侵攻した。
④ アメリカがビキニ環礁で水爆実験を行った。

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解答③ 【解説】③1979年にソ連がアフガニスタン侵攻を行い、新冷戦と呼ばれる対立期に突入した。➀は1962年、➁は1961年、④は1954年の話。

問3 冷戦構造形成につながるアメリカの支援についての記述として正しいものを,次の①~④から一つ選べ。

① トルーマン・ドクトリンは,共産主義勢力を封じ込めるため,イタリアとフランスに経済・軍事援助を行うことを提唱したものである。
② トルーマン・ドクトリンは,第二次世界大戦後の混乱を食い止めるため,東西ドイツに経済・軍事援助を行うことを提唱したものである。
③ マーシャル・プランは,第二次世界大戦後の欧州の経済・社会の混乱を食い止めるため,経済援助を行ったものである。
④ マーシャル・プランは,社会主義化の原因となる経済・社会の混乱を取り除くため,東欧に経済援助を行ったものである。

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解答③ 【解説】➀②トルーマン・ドクトリンは、共産主義勢力が広がりつつあったギリシャ・トルコへ経済援助を要請し、共産主義を封じ込めるためにアメリカが実施した。それに対し東側陣営は、コミンフォルムという東欧各国の共産党協力機関を設立している。

問4  国際政治の舞台における取組みについての記述として正しいものを,次の①~④のうちから一つ選べ。

① 米ソ以外の核兵器保有を禁じる核拡散防止条約(NPT)が発効した。
② 国際通貨問題を討議する国連開発計画(UNDP)が設立された。
③ 核兵器の廃絶を訴えるパグウォッシュ会議が発足した。
④ 変動為替相場制を採用するブレトンウッズ協定が結ばれた。

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解答③ 【解説】➀NPTは米ソの他に、英仏中の核保有は認めている。②UNDPは発展途上国への技術協力・能力開発のための資金供与を行う機関。④ブレトンウッズ協定をキングストン合意にすれば正しい文章となる。

問5 第二次世界大戦の後の国際政治に関連した記述として誤っているものを,次の①~④のうちから一つ選べ。

① アメリカはトルーマン・ドクトリンなど,東側陣営を封じ込めるための政策を実施し,共産主義勢力の拡大を阻止することに努めた。
② 日本は戦争の放棄を国家理念として掲げたが,国際政治の変化の中で日米安全保障条約により警察予備隊を創設した。
③ アメリカとの緊張関係にある中で,ソ連のフルシチョフが平和共存路線を掲げた。
④ 相次いで独立を果たした旧植民地諸国はバンドン会議で「平和10原則」を発表し,内政不干渉,国際紛争の平和的解決などを主張した。

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解答② 【解説】②警察予備隊は1950年に創設。朝鮮戦争の影響で再軍備を要請され、結成した。その後の1951年に締結したのが日米安保条約であり、時系列が逆となる。

問6 東西両陣営の対立する冷戦期における国際社会の動きについての記述として誤っているものを,次の①~④のうちから一つ選べ。

① アジア,アフリカ,中南米の一部の国は,非同盟・中立を掲げて,外交を展開した。
② ソ連を中心とする社会主義諸国は,ワルシャワ条約機構を設立して,NATOに対抗した。
③ 国連は,マーシャル・プランに基づき,米ソ間の緊張緩和をめざす努力を続けた。
④ アメリカとソ連は,戦略兵器開発競争に歯止めをかけるために,戦略兵器制限交渉(SALT)を進めた。

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解答③ 【解説】➀これらの国々を第三世界という。③マーシャルプランは、アメリカのマーシャル国務長官による、欧州の経済復興援助計画であるが、これにより米ソ間の溝は深まった。

問7 アジア・アフリカ諸国が先進諸国に対抗するべく従来の国際秩序の変革を試みた例として,発展途上国が行ったことの記述として最も適当なものを,次の①~④のうちから一つ選べ。

① 発展途上国への先進国による軍事介入を禁止するために,サンフランシスコ平和条約の作成を促した。
② 先進国の大量のエネルギー消費を抑制して世界秩序を環境重視の方向に転換するために,トルーマン・ドクトリンの普及を促した。
③ 人民の自決権(民族自決権)を提唱して植民地の独立を促進するために,世界人権宣言の作成を促した。
④ 発展途上国にとって不利にならない国際経済の構造を実現するために,NIEO(新国際経済秩序)の樹立に関する宣言の採択を促した。

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解答④ 【解説】➀サンフランシスコ平和条約は、日本が連合国側と締結した第二次世界大戦の講和条約。アメリカが主催している。②トルーマン・ドクトリンもアメリカによるものであり、問題に対して不適当。③世界人権宣言は国連総会で採択されたもの。発展途上国が行ったとは言えない。

問8 1980年代のヨーロッパで起こった民主化についての記述として誤っているものを,次の①~④のうちから一つ選べ。

① チェコスロバキアで,「プラハの春」と呼ばれる運動が起こり,共産党政権が崩壊した。
② ポーランドで,自主管理労組「連帯」が自由選挙で勝利したことで,非共産勢力主導の政権が成立した。
③ ソ連で,ゴルバチョフ共産党書記長が,ペレストロイカやグラスノスチを提唱し,国内改革を推進した。
④ 東ドイツで,反政府デモが各地で起こり,社会主義統一党の書記長が退陣して,改革派が政権を引き継いだ。

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解答➀ 【解説】➀プラハの春は1968年に起こっており、問題文に反する。また、運動により自由化が進められたが、最終的にはソ連による軍事介入を受けており、協調路線に戻っている。つまり、共産党政権が崩壊したという部分も誤り。

問9 独立した諸国が植民地主義を批判し,「平和10原則」を唱えた会議として正しいものを,次の①~④のうちから一つ選べ。

① 京都会議
② サンフランシスコ会議
③ パグウォッシュ会議
④ バンドン会議

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解答④ 【解説】第三世界と呼ばれる新たな勢力がまとめた原則。1955年に開催された「アジア・アフリカ会議(バンドン会議)」によって採択された。ちなみに、その前身にあたる「平和5原則」は、1954年の周・ネルー会談によって発表されている。

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