政経講義46 国際連盟をわかりやすく

政経

本単元のポイント
⑴ 国際連盟が成立した背景
⑵ 国際連盟が失敗した要因

本まとめの用語表記

赤蛍光ペン…共通テスト頻出の最重要単語

黄下線ペン…共テ応用問題や私大入試で抑えるべき

今回は国際連盟の解説になります。国際社会が成立し、秩序を守るための組織が必要と考えられた結果成立したのが国際連盟です。どのような背景で設立に至ったのかや、上手く機能しなかった理由などを正確に抑えていきましょう。

▼国際連盟の設立

第一次世界大戦の反省

1914年に発生した第一次世界大戦を経て、平和維持を目指すための組織づくりが叫ばれるようになる。その頃の考え方は「勢力均衡方式」というものであり、敵対関係にある国家(同盟)と軍事力を均衡させ、互いに攻撃できない状態を作っていた。ワンピースで「海軍本部」「王下七武海」「四皇」が均衡して世界の秩序が保たれている…という設定も、勢力均衡方式の考え方ですね。(知らない人ごめんなさい) 現実世界の主たる例は、三国同盟や三国協商というものになります。

勢力均衡方式とは

しかし、互いに軍事力を拡大させようと競うようになり、最終的に第一次世界大戦を引き起こすこととなる。この戦争の反省から、新たな組織の設立を目指したのが、アメリカ大統領のウィルソンだった。

ウィルソンの平和原則14か条

1918年、ウィルソンは勢力均衡方式に代わる国際体制の原則を示した。これこそが集団安全保障方式であり、加盟国全体で集団的制裁を与えることで平和を維持しようとした。1919年のパリ講和会議で創設を決議し、同年のヴェルサイユ条約に規約が盛り込まれた結果、1920年に成立したのが国際連盟である。ウィルソンはその功績が称えられ、1919年にノーベル平和賞を受賞している。

+α ウィルソンに影響を与えたカントの思想
彼が説いた国際連盟の構想は、ドイツの哲学者カントから得たものとされている。彼は論文『永遠平和のために』の中で「戦争はあたかも人間の本性に接ぎ木されたかのようである」と語っている。つまり人間の本性と戦争は繋がっており、人間は放っておくと戦争をする「邪悪さ」をもっているということであった。「平和のための連合」こそが、そうした「暴力性」を抑止することができる手段であるとカントは考えたのである。

こうして誕生した国際連盟は、42カ国を原加盟国として発足することになるが、ご存じの通り現在には残っていない。この後に第二次世界大戦が発生している事実が、平和維持が出来なかった何よりの証拠である。では、なぜ国際連盟は十分に機能しなかったのだろうか?ここも受験の頻出ポイントとなります。

▼国際連盟の失敗

1920年に設立した国際連盟は、総会や理事会、国際司法裁判所などが組織されていたが、十分に機能せず第二次世界大戦へと突入することになる。なぜ機能しなかったのかの問題点は3点に分けて解説する。

国際連盟の問題点

➀米ソの不参加

まず、国際連盟は「集団安全保障方式」の考え方であり、もし道を外した時に他国から一斉に制裁を加えられることになることが抑止力となる。つまり、強国であっても他国から一斉に攻められるのは恐怖であるし、集団に強国がいることは他国にとって大きな脅威になる。

しかし、ふたを開けてみると、アメリカは条約で原加盟国となっていたが、合衆国議会の上院反対多数により加盟できなかった。アメリカはヨーロッパの列強国や国際組織への加入に反対し、互いに干渉しない孤立主義という考えを持っていたことが原因である。また、ソ連は遅れて1934年に加盟したにも関わらず、1939年にはフィンランド侵攻が問題視され、同年の連盟理事会において除名が決議された。重要なポジションとなる2つの大国が共に不参加という組織は十分な効力を発揮できず、1933年に日本・ドイツ、37年にはイタリアも脱退することに。

+α 日独伊の脱退
日本は1931年の満州事変に関連して、国連に満州国の否認をされたことをきっかけに脱退。ドイツは元々この体制に懐疑的だったヒトラーが政権を掌握したことをきっかけに脱退。イタリアはエチオピア侵攻に対する経済制裁を受けていたことに不満を抱き脱退となった。以上の三国は国際的孤立を防ぐために「日独伊防共協定」を結ぶことになる。

➁表決が全会一致制であった

国際連盟では、総会や理事会において、表決方法が全会一致制であった。総会では50前後の国が参加する議会で、全加盟国が賛成する必要がある。決定に時間がかかるだけでなく、重要な事項になればなるほど負担と感じる国も増えるため、効果的な決定は実現できなかった。これでは目的達成は遠のくばかりである。

③制裁が不十分であった

最後に、集団安全保障方式の最も重要な部分である「制裁」についても、経済制裁に限定するという甘いものであったこと。軍事制裁を行うためには、常に戦争が出来る準備をしなければならないということであり、当初から消極的な国が多かった。特に重要な加盟国であったイギリスやフランスなどは、独自で条約を結ぶこともあり、自国に利益がない連盟の制裁には消極的であった。

元々軍事制裁を禁止していた訳ではなく、「やろうとしたけどできなかった」という表現が正しいかもしれません。

▼まとめ

この結果、1939年から第二次世界大戦に突入し、多くの死者や被害を出すことに繋がっていく。次こそは平和維持が機能する国際組織を作るべく、各国が構想を練っていくことになるが、ここで中心となったのはいわゆる戦勝国。アメリカ・イギリス・ソ連・中国などを中心として国際連合が組織されていくため、敗戦国の日本・ドイツは厳しい立場に追いやられることになる。

国際連合の成立や組織の概要については、次のまとめで解説していきます。読んでいただきありがとうございました。

過去問演習にチャレンジ!→政経演習37国際社会と国際法
             政経演習38国際連合の役割
一問一答問題にチャレンジ!→ 一問一答国際02国際連盟と国際連合
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