▼はじめに
今回からは、戦後~現在までの経済史を紹介していく。戦後約70年を⑴~⑶に分けて解説するが、今回は戦後復興期~高度経済成長期まで。戦争に敗れぼろぼろとなった日本が、どのように立ち直り、急速な経済成長を遂げていったかを抑えていこう。
▼戦後復興期
まず戦後の日本について。戦争により多くの命と4分の1の国富を失った日本は、アメリカの下で新たな国づくりを進めることとなる。ここでのキーワードは民主化と自由化であり、特に以下の3本柱が重点政策として掲げられた。
企業、農業、労働者の3点において、民主的な組織づくりや自由化を推進する動きを軸とした政策が掲げられた。これにより、企業間の競争が経済発展の活力となったり、農業従事者・労働者の所得や消費が増加したりといった成果を出した。
しかし、これだけで戦後を乗り切れる訳はなく…日本経済にとって苦しい時期が続くこととなる。何から手を付ければいいのか…という状況であった。
そこで、まずは資源が足りていない状況を脱するため、当時の主要産業であった石炭・鉄鋼の復活を推進することにした。これを傾斜生産方式という。
しかし、復活には資金が必要であり、その調達をしなければならない。日本はアメリカからの援助(ガリオア・エロア)や借金(復金債)に頼ることにした。いずれも他力本願であり、それにより成り立つ不安定な経済は「竹馬経済」と称された。さらに、多額の借金で過剰に紙幣を発行したこともあり、急激なインフレーションを引き起こすことになる。(復金インフレ)
不安定な経済を見たGHQは、日本経済の黒字財政やインフレ収束に向けて「経済安定9原則」を発表する。GHQの経済顧問としてドッジが来日し、提言した具体的な経済政策(ドッジライン)に基づき、経済の安定と自立を図っていくのである。
しかし、それでも経済復興への道は程遠く、深刻な不況に見舞われていた…。そんな日本に転機が訪れたのが、1950年。受験生であれば、この年号だけで「あ!あの出来事があった年だ!」と反応してもらいたい頻出事項です。1950年に発生した朝鮮戦争を契機に、米軍から大量の武器注文や物資の修理・補充などが舞い込み、景気回復へのチャンスをつかむことができた。これらは特別な需要であったことから「特需」と呼ばれる。
ここから生産が拡大し、不況を脱出した勢いをそのままに、日本は高度経済成長期へと突入することになる。
▼高度経済成長期
高度経済成長の要因
順調に経済復興を進めた日本は、1955年ごろから設備投資を積極的に行い、1956年の経済白書にて「もはや戦後ではない」と発表されるほどであった。この短期間で従来の水準まで経済を回復させるのは異例であった。「高度経済成長期」の要因は何だったのか。まとめたので参考にしてください。
高度経済成長の内容
高度経済成長期は20年弱続くことになるが、細分すると4つの好景気が生まれている。順番にすると「神武景気→岩戸景気→オリンピック景気→いざなぎ景気」となる。神武景気は三種の神器(白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)、岩戸景気は1960年の国民所得倍増計画(池田勇人内閣)、オリンピック景気は1964年の東京五輪もキーワードとして覚えておきましょう。
高度経済成長の終焉
高度経済成長の終焉は「2つのショック」が原因と言われている。1つはニクソン・ショック。ニクソン大統領が金とドルの交換停止を発表し、当時の世界経済は混乱に陥った。アメリカ再建に向けて、円高ドル安(アメリカの輸出が有利な形)へ誘導を図ったが、逆に日本にとっては輸出が不利となり、日本経済はダメージを受けた。
2つめはオイルショック(石油危機)。これは、産油国が集まる中東の影響で石油価格が高騰したことにより、経済混乱が起こったもの。日本は特に海外からの資源依存度が高く、他の先進国より大きい影響を受けた。特に1973年、第一次石油危機により急激な物価高騰(=狂乱物価)が発生し、景気が急激に下降した。この翌年にあたる1974年、日本は戦後初めてマイナス成長を記録することになる。
この1974年をもって、高度経済成長は終焉を迎えたとされる。その後、日本経済はどのような道を歩んでいったのかについては、政経講義36日本経済史⑵にて解説する。
▼まとめ
日本経済の「歴史」なので、いろいろな事項が繋がっている。流れで覚えることを意識してみてください。特に戦後の不況からの脱出~高度経済成長への流れは頻出である。
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