前回は戦後復興~高度経済成長までをまとめましたが(参照:政経講義35日本経済史⑴)今回は高度経済成長の終焉~バブル経済頃の経済史をまとめていきます。年号としては1970年代~1990年代といったところ。⑴と同様、流れのある部分が多いので、ストーリーとして覚えていきましょう。
▼高度経済成長の終焉
前回も紹介しましたが、簡単に復習。高度経済成長の終焉はニクソン・ショックを要因とする円高不況と、オイルショックによる急激な物価高騰(=狂乱物価)が発生し、いわゆるスタグフレーション(景気停滞+インフレ)状態となった。1974年、日本は戦後初めてマイナス成長を記録することになった。
戦後から20年、経済成長を続けてきたが、その要因の一つは安価な石油であった。それが高騰するとなると他の方法に活路を見出すしかない。このマイナス成長が日本経済の転換を進めることになる。まず、産業全体の特徴は重厚長大産業が中心であったものが、軽薄短小産業へ移行した。エネルギーを極力使わない、電気や情報、通信などの産業が主力となっていった。
この頃の日本は世界有数の経済大国へ成長しており、第3次産業への比重が増大していた。産業の転換により、これがますます進むことになり、モノよりも知識・情報に対する需要が高まっていく。これを経済のサービス化・ソフト化という。
▼低成長期~安定成長期
産業の転換により石油危機を乗り越えた日本は、再び成長期に入る。とはいってもかつてのような急成長ではなく、低成長期~安定成長期という緩やかな上昇だ。逆に言えば、一瞬マイナスにはなったがすぐに持ち直しており、元々経済が安定していたことがわかるね。1979年には第2次石油危機が発生するものの、1次ほどの影響はなかった。
そして1980年代といえばアメリカとの貿易摩擦問題がキーワード。好調な日本車輸出に反して、米国では貿易赤字が膨らみ労働者の解雇が深刻化した。「この状況は日本車や日本製品が悪い!」と不満を抱く人々により、不買運動や日本車打ち壊しなどが起こるほどであった。
当時、アメリカはソ連との冷戦もあり軍事費がかさんでいた。貿易赤字と財政赤字の「双子の赤字」から脱するため、自国の建て直しに向けて為替市場への介入を行うことになる。具体的にはドル高が進んでいたものを改善すること(ドル高是正)によって、輸出を有利にし、経済の建て直しを図ったのである。1985年、ニューヨークのプラザホテルで開催されたプラザ合意により、G5参加国(日・米・英・西独・仏)が対ドルの通貨を切り上げるよう決定した。日本で例えるならば、円高ドル安の形に持っていくということ。
▼円高不況からバブル景気へ
円高不況(1985年~)
アメリカの輸出が有利ということは、日本の輸出は不利になる。当時輸出を拡大させていた日本にとってこの円高は痛い。競争力を失い、深刻な不況を引き起こした。(=円高不況)
ここから脱するために日本が採った政策は何か…?輸出主導では無く、内需主導(国内経済)で経済を活性化させていこう!というものであった。公共事業を活性化させ、減税も行った。そして大きな目玉が「低金利政策」だ。金利を下げて資金の回りを良くしていこうという狙いであったが、これがバブル景気の引き金となる。
バブル景気(1986~91年)
低金利政策を続けていた日本では、余剰資金を投資に回そうとする動きが流行する。戦後から「日本の土地は必ず値上がりする!」という土地神話が定着しており、ここぞとばかりに購入者が増えた。銀行や不動産業者だけでなく、個人や企業までもが株や土地の売買を繰り返し、株価・地価は急上昇した。日経平均株価は38,915円(1989年12月29日)という最高値を記録し、東京23区の地価でアメリカ全土が買えるほどに地価も上昇したという。
多くの資産を得た人々が積極的に消費活動を行い(資産効果)、日本は空前の好景気へ。これがバブル景気である。
バブル崩壊(1990年代)
さて、楽しい話はここまで。栄光は一瞬で過ぎ去り、バブル景気は崩壊の道を辿っていくことになる。ここで思い返してほしいのが、この好景気って何が要因だった…?ということ。
輸出が好調だったとか、企業の生産効率が上がった…ではなかったよね。「これから土地が値上がりするかも!」「株価があがるはずだ!」という中身のない噂によるものであった。つまり、大した要因がなかったのに異常に膨れ上がってしまった、中身のない泡のような好景気だからバブル景気と呼ばれるんだ。
泡はちょっと触れると弾けてなくなる。バブル景気も同様に、ちょっとした刺激で一気に崩壊することになる。具体的には、地価が異常に高騰してしまった状況を抑えようとし、金融引き締めや地価抑制を行った。「絶対上がるはず!」という噂を信じて購入した土地が、少し下がってしまった…。「あれ、下がっちゃうの?」そんな不安が土地の売却を推し進め、どんどん地価が下がっていく。「また上がるんじゃない?」と売り時を失った時にはもう遅い。地価は一気に下落し、つられるように景気も停滞した。
これに影響を受けたのが銀行だ。当時の銀行は、企業や個人に積極的にお金を貸していたが、土地を担保にとっていることも多かった。「もし借金が返せないなら、その土地を売って埋め合わせてね」というもの。しかし、景気が停滞して借金は返せない、担保にしていた土地も価値がなくなっている…銀行としては貸したお金が返ってこない状況になった。これを不良債権というが、多くを抱える銀行は経営が圧迫され、最悪の場合、倒産してしまう所も現れてしまった。
これがバブル景気の崩壊であり、長く続く日本の不況の幕開けである。暗黒の90年代から現在に至るまでは政経講義37日本経済史⑶で解説していきます。
▼まとめ
⑴と同様、さまざまな事項の繋がりを感じてもらえたでしょうか。双子の赤字~プラザ合意~バブル景気の流れは、一見別物のように見えて全て繋がっている。流れで覚えることを意識してみてください。バブル景気は正直入試ではあまり出ない印象ですが、同じ過ちを繰り返さないためにも知っておきたい内容です。興味があればさらに調べてみてください。
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