政経講義34 金融改革をわかりやすく

政経

本単元のポイント 
➀90年代の金融改革の流れを抑える
➁改革により変わった事柄を理解する
③近年の金融政策を内容まで理解する

本まとめの用語表記

赤蛍光ペン…共通テスト頻出の最重要単語

黄下線ペン…共テ応用問題や私大入試で抑えるべき

今回は金融の最終回。現代につながる金融改革についての解説です。前回の最後にも書いたように、日本経済はバブル崩壊を機に大きな転換が求められました。当然金融の世界も例外ではなく、自由化・国際化の流れに沿って改革が進められていきます。どのような改革が行われたのか、近年の金融政策について、丁寧に理解していきましょう。

▼金融の自由化・国際化

護送船団方式からの脱却

戦後以来、銀行をはじめとする金融機関は、倒産防止のために政府からの保護を受けていました。ある程度の規制をかけながら、みんなが同じように経営していきます。つまり、国が主導して金融業界の安定を図ったわけです。これを護送船団方式といいます。国という大船長が、「みんなでついてこい!」「勝手な行動はするな!」と小さな船を従えていくイメージです。金融機関は横一線で動き、どの会社も変わらない状態になりました。

言ってしまえば「ぬるま湯」に浸かっていた日本の銀行たちは、いざ時代の流れが変わり始めて欧米諸国が成長していく中で、変化に対応しきれませんでした。1980年頃から進んだ自由化や国際化の流れに出遅れ、海外からの批判を集めることにも繋がりました。

金融ビッグバンとは

この流れを受けて、大規模な金融制度改革が行われたものを総称して、日本版金融ビッグバンといいます。原則や主な政策は以下の図を参考にしてください。

日本版金融ビッグバンとは

これまで「みんなで一緒に」というスタイルだった日本の金融機関は、一転して「自由・競争・国際化」の波に乗っていくことになります。経営が苦しい銀行の中には、大きな銀行に吸収されるものも現れ、差が生まれていくことになります。競争の結果、大手銀行は三大グループに集約されることになり、メガバンクと呼ばれるようになります。日本の3大メガバングは分かりますか?

解答click↓
みずほ・三井住友・三菱UFJ

この金融ビッグバンにより、規制が緩くなっていった結果、銀行と保険、証券を同時に展開する会社が生まれたり、一般企業が銀行業へ参入したりと、私たちの日常にも変化を与えていきます。今では当たり前のようにあるセブン銀行やイオン銀行、コンビニのATMなども、2000年代から登場したものです。

金融自由化の結果

競争の激化・国際化・自由化の流れの中で、新たに生まれたルールを紹介します。

□BIS規制
一定の自己資本比率が無い場合、国際的に活動してはいけないことを定めたもの。最低基準を定めることで、力のある銀行だけが生き残るよう誘導した。あまりにもたくさんのお金を貸してしまうと、自己資本比率が下がってしまうことから、貸し出しに消極的になる銀行も出てきてしまいました。(貸し渋り)

□ペイオフ制度
金融機関が破綻した場合は、預金保険機構という特別な組織により1000万とその利息が保障される制度。「1000万も保護されるのか!」という意味だけではなく、裏を返せば「それ以上は返ってこなくても知らないよ。」という意味でもある。自由に銀行が経営できるようになり、銀行に個性が出てきた一方で、私たちとしても自己責任で銀行を選ぶことが求められるようになりました。
2005年にペイオフが全面解禁となって、完全に自己責任で銀行を選ぶ時代へと変化した。

金融機関の競争が激しくなり、自由化が進んだと同時に、私たちも自己責任で銀行を選び資金管理することが求められるようになったことを、抑えておいてください。

▼非伝統的金融政策

前回紹介した基本的な金融政策(政経33金融政策)は、公開市場操作預金準備率操作でしたが、バブル崩壊後は急激なデフレが進んだことで新たな金融政策にチャレンジしていくことになります。1990年代後半から2010年代にかけて実施されたものを総称して、非伝統的金融政策といいます。深刻なデフレをどのように脱却していこうとしたか、大まかにでもいいので理解してください。

➀ゼロ金利政策

ゼロ金利政策とは、買いオペにより無担保コールレートを実質ゼロに誘導するもの。難しく書いてありますが、無担保コールレートは「個人や企業の金利に影響するもの」とでも考えてくれればOKです。

ゼロ金利政策とは

金利が0であるということは、お金を借りても同じ額で返せばよいということ。つまり、個人や企業はお金が借りやすい状況になり、市場に資金がより多く供給されることになります。お金の回りを活性化させて、景気回復を目指しました。

このように、お金が借りやすい状況を作り通貨量の増加を目指す政策のことを、金融緩和といいます。日本は近年、この金融緩和を基本に進めているため、住宅ローンの金利なども非常に低い状態となっています。

➁量的緩和政策

1995年~2000年の間にゼロ金利政策を実施しましたが、思うようにデフレ脱却が進まない結果となりました。金利を0の状態にしてしまった以上、もう進む先はありません。そこで日銀は、誘導目標を率から量そのものへ変えていきました。買いオペを積極的に進め、シンプルに市中銀行と日銀の間で使える資金量を大幅に増加させました。

量的緩和政策とは

たくさんお金を使える状態にすれば、たくさん市場に資金を供給できるよね?という考えのもと、ゼロ金利政策以上の効果を狙いました。

③量的・質的緩和政策

2013年から1年間程度の期間では、更なる買いオペを推進し、マネタリーベース(日銀が世の中に供給するお金)の指標を目標とします。これまで以上に多くの資金を供給し、物価上昇率2%を目標としていきました。この目標が達成するまで行うとしました。

量的・質的金融緩和とは

④マイナス金利政策

③の量的・質的金融緩和政策をさらに効果的に進めるため、2016年から「マイナス金利」というおまけを付けることにしました。

本来、お金を預けたり貸し出したりした場合、当然プラスになって返ってきます。「お金を預けてくれてありがとう」の気持ちで、余分に付けるお金が利子です。ところがマイナス金利とはどういうことか…?せっかくお金を預けても、マイナスになって返ってくるということです。なんで預けてるのに損をするの?!と思うかもしれませんが、これが現実です。

理解するためには、どの金利をマイナスにしたかがポイント。下の図にあるように、市中銀行が日銀に預金する金利の一部をマイナス0.1%にしました。背景としては、市中銀行が資金を持っていても、貸出に消極的で日銀へ預金してしまう状況がありました。これでは、せっかく銀行が儲かっても、社会全体の景気に還元されないことになってしまう。だったらいっそのこと、「日銀へ預金をすると損をする」という状況を作り、企業や個人への貸し出しを増加させようとしたんですね。

マイナス金利政策とは

実はこの流れは2023年となった現在でも続いている。現在の円安問題にも繋がる話なので、日本が低金利政策を長く続けていることは覚えておきましょう。

▼まとめ

以上が金融改革のポイントになります。大まかな知識として、バブル崩壊をきっかけに大きな変化があったんだというイメージは、必ず抑えておいてください。読んでいただきありがとうございました。

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