▼大日本帝国憲法制定の経緯
天皇中心の国として発足した明治政府は、ヨーロッパ諸国に追いつくために近代的な憲法の制定を目指した。世界で通用する憲法を作成するため、伊藤博文は憲法の調査のためヨーロッパへ渡り、さまざまな学問を学んだ。その中で参考にしたのが、君主権の強かった「プロイセン憲法」(現在のドイツ、ポーランドあたりにあった国)であり、これを参考にして日本の憲法を作り始めた。
そして、作られた大日本帝国憲法は、憲法に従って権力が実行される「立憲主義」をベースとして、人権保障や権力の分立を規定した憲法であった。
▼大日本帝国憲法の特徴
POINT➀権力は実質天皇1強だった
大日本帝国憲法では、天皇は神聖不可侵な存在で、「国の元首にして、統治権を総攬する(大日本帝国憲法第4条)」とされていた。総攬というのは全ての権限を握るということ。権力分立を規定したというのは建前で、実質は政治権限すべてを天皇が握っていた。
POINT②人権保障は不十分であった
大日本帝国憲法では、臣民(国民)の権利は「法律の範囲内のみ」においてのみ保障されるとされていた。これを「法律の留保」という。法律で守られているのならいいのでは?と思うかも知れないが、先ほどの文章をもう一度読み返してほしい。
政治権限を天皇が握っているということは、立法権も天皇次第で動かせるということ。つまり、天皇に逆らう国民が現れれば、法律自体を変えてしまって人権を侵害することも可能であるということになる。これでは人権保障が十分徹底されていたとはいえない。
▼新旧憲法の違い
先述したように、最も大きな違いは主権をもつ者。旧憲法は天皇が権限を握っており、天皇の名の下で制定された。これを欽定憲法という。一方で新憲法は国民主権を原則としており、国民により制定された憲法である。これを民定憲法という。
細かい違いとして入試で頻出な点は2つ。
1つ目は、特別裁判所の有無。
旧憲法では皇室裁判所や軍法会議といった、特別裁判所が存在していた。これは特定の身分や、裁判において裁判権を行使する場所であった。特別な場所が増えた場合、法解釈にブレが生じたり、統率が乱れたりする恐れがある。新憲法では、司法権の独立を守るため、特別裁判所の設置は禁止されている。
2つ目は、地方自治の規定の有無。
旧憲法では地方自治に関連する記載は無いが、新憲法では憲法第92条に記載がある。
「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。」日本国憲法92条
地方自治の本旨とは、法律でも侵害できない地方自治の核心部分のことで、具体的には住民自治及び団体自治の原則についてである。
以上の2点は、選択肢の文章でもよく出てくる。誤文に騙されないように、しっかりと理解しておきましょう!最後に新旧憲法の比較のポイントをおさらいして、締めくくりとしたいと思います。
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