今回は農業政策についての解説。本来は農業で1講義の予定でしたが、意外と内容が濃い部分が多く丁寧に説明したいため、2つに分けて説明することにしました。第一回となる今回は、日本が農業政策をどのように実施してきたかを紹介します。マイナーな単元でありながら内容量が多いということで、共通テストでも難問として出題されることも多い。高得点を目指したい人は特に抑えておきたい単元です。
▼農業政策の歴史
農業政策の歴史
まずは日本の農業に関連する事項を年表にまとめたので見てください。緑色で書いてある部分が食糧制度に関するもの。食糧とは主食になる食べ物を指すため、コメに関する制度と思ってもらえばよい。赤色で書いてあるものは農業の基本方針を示すもの。農業基本法と新農業基本法の目的の違いを抑えておきましょう。
農業基本法の移り変わり
▼米に関する政策
食糧管理制度とは
農業関連で頻出となるのは、主食であるコメについての政策。日本国民の食生活を安定させるため、コメについては政府による保護が特に手厚く、大切に守られてきた。戦前から1995年まで続いたコメの政策を「食糧管理制度」といい、内容まで抑えておいて欲しい制度。
昭和時代は、1人当たりのカロリー摂取の約45%がコメで占められており、日本にとってなくてはならない食材であった。そのため、政府が農家からコメを買い上げることで確実に農家の収入になるよう保護していたのである。そうすれば、万が一売れ残りが生じても政府の損になるだけで農家は守ることができるよね。
しかし、時代の流れと共に食の多様化が進み、現在ではコメによるカロリー摂取は20%程度となっている。小麦や畜産物が食卓に並ぶことが増え、コメの需要は徐々に減っていたのである。そうすると、コメはどうなるだろうか…?農作物は細かな調整ができるものではなく、毎年同様に生産される一方、食べる人が減るとなると…政府に余るコメがどんどん増加してしまうことになるよね。
コメの作付面積を減らす減反政策を推進したり、麦や大豆といったコメ以外の農作物への転作を優遇するなど策を打ったものの、政府の米余りは改善されなかった。
コメ流通の自由化
1980~90年代頃になると、GATTのウルグアイラウンドをきっかけに農作物の自由貿易が推進されていく。日本は貴重な国産のコメを守るため、コメの輸入には否定的であったが、国際的な流れと共に少しずつ自由化の道を歩み始めた。
1995年の新食糧制度では、政府による管理を緩和し、戦前から続いていた制度が転換することになった。具体的には、ミニマムアクセスと呼ばれる最低輸入枠に限定してコメの輸入を開始するというものであったが、大きな転換点となったのは間違いない。
2004年の改正食糧制度では自由化をさらに促進させて、コメ販売の自由化や価格の市場決定など、規制緩和が進んでいくことになる。政府主導で過保護に守られ続けたコメが、近年ではさまざまな面で自由になっていると覚えておきましょう。
農業の国際的な課題については、次回のまとめで紹介することにします。
▼まとめ
以上が農業政策についてのポイント。農業○○法、食糧○○制度というような似たような項目が並び暗記しにくい部分となっているため、「基本法の変化」と「食糧制度の変化」の2点に分けて整理していきましょう。低下する自給率問題や今後の農業の課題などについては、次回のまとめで紹介するとします。読んでいただきありがとうございました。
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