日本において「地方の政治」という概念が登場したのは、1891年の廃藩置県。それぞれの藩が独立していた制度を改め、中央政府が一括管理できるようにしたことで、「国」と「地方」という考え方が生まれた。地方で行う政治を「地方自治」といい、入試でも頻出事項が多くなっている。
▼地方自治の本旨
先述したように、地方自治の概念は明治時代に生まれたばかりであり、大日本帝国憲法に地方自治の概念は明記されていない。戦後制定された日本国憲法には、第92条に「地方自治の本旨」が明記され、地方自治がこうあるべきという方向性が示された。この旧憲法と新憲法での地方自治の扱いの違いが頻出。
地方自治の本旨は、国から独立した自治を行う「団体自治」と、住民自身が直接参加する「住民自治」の考えが示されており、地方がそれぞれで自立できることを目指している。明治憲法の時代は「地方=国が支配」という前提であり、そもそもの考え方が異なる。
地方が自立するためには、一人ひとりの地方住民が有権者として政治に参加することが求められる。イギリスの法学者ブライスが「地方自治は民主主義の学校」と説いたように、地方自治に参加することで社交性や常識、政治への関心などが身につくと期待できる。住民の意思が反映されるよう、国の政治よりも住民に大きな権限が認められている。
▼二元代表制
地方自治の運営は、選挙で選ばれた議員による「議会」と、同じく選挙で選出された「首長」で行われる。これを「二元代表制」という。日本では、国のリーダーである総理大臣は直接選挙で選ばれないが、地方のリーダーである首長は直接選ばれることに注意しよう。
首長は住民から直接選ばれたということもあり、与えられる権限も大きい。議会の解散権や議会の決定に対する拒否権を持っている。
▼地方分権への動き
(ⅰ)地方分権一括法(1999)
地方の自立を促す目的で、1999年に新たに成立した法律が地方分権一括法である。これまで国の事務を代わりに行う業務(=機関委任事務)が多く、地方独自の政策が出来ないという問題点があった。この問題を改善し、地方が独自の政治を行えるよう、業務が整理された。新たに設置された自治事務と法定受託事務の違いが入試では頻出。国政選挙や旅券(パスポート)、生活保護など、国全体で取り組んでいることを地方に代行してもらうものが、法定受託事務と覚えておこう。
(ⅱ)三位一体の改革(2000年代)
最後に三位一体改革について。この改革は、国に依存して自主財源が乏しい地方財政を立て直すためのものである。中には自主財源が3割〜4割程度の自治体もあり、「三割自治」といわれることもある。この状況を打開するために行われた3つの改革をまとめて、三位一体の改革と呼ぶ。詳しい内容は以下の通り。
これだけ見ると、なんでお金が足りないのに削減してしまうの…?と混乱する人もいるかもしれないが、それぞれの改革に意味がある。まず(1)の補助金は、国が使途を指定していたもの。これでは地方が好きにお金を使えないので削減。(2)の地方交付税は、国の財政を圧迫していたもので、そもそも削減したかった。これにより、地方が国からの交付税に依存し過ぎないこともねらいの一つ。最後に、(1)(2)だけでは地方財政も厳しいままであるので、国税で入るお金を地方税へ移すことにした。これにより、地方が自立した財政を運営していけるようめざした。
以上の3点を同時に行ったことから、三位一体の改革と呼ばれる。国からの関与を減らし地方財政の自立をめざした。しかし蓋を開けてみると、国の財政が重視され、削減分よりも増加分が少ないこともあったため、かえって地方財政が圧迫されたとの批判もある。
地方自治の基本については以上。次回は、実際に住民の声がどのように政治に反映されるのかについてまとめる。直接請求権や住民投票など、頻出分野が続くので、しっかり抑えていきましょう。過去問等でアウトプットのトレーニングもしていきましょう!
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