今回は、前回に引き続き自由権について解説します。精神の自由に関する投稿はこちらを振り返ってみてください。

今回メインとなるのは、自由権の中でも「身体(人身)の自由」と呼ばれるものです。国から不当に拘束されたり、不当に逮捕されたりしないよう、さまざまなルールが憲法で保障されています。実際に逮捕されたらどのような流れで手続きが進むかや、それぞれの段階でどのような権利が保障されているかなど、ポイントを抑えながら紹介していきます。
刑事手続きの流れ
大日本帝国憲法下で、人権を無視した拷問・不法監禁を行っていた過去を反省し、日本国憲法では第31条~40条にわたって詳細に刑事手続きを定めています。必要以上の苦痛を被疑者や被告人などに加えるべきでないという精神のもと、定められた規定を順にまとめていきます。
逮捕~勾留までの流れ

まず、逮捕~勾留までの流れをまとめましたが、ここでのポイントは逮捕についてです。逮捕の際には「逮捕状」と呼ばれる令状が必要となり、強制的な逮捕が安易にされないようになっています。これを令状主義といいますが、入試でも狙われるポイントとなっています。
★令状を発行するのは裁判官 ※検察や警察ではないことを注意!
★現行犯の場合は令状は不要
逮捕された後は、取り調べを経て警察から検察へと身柄が引き渡されます。不当に長期にわたる拘束がされないように、逮捕から48時間以内に送検・送検から24時間以内に勾留と決められています。この間の取り調べにおいて、自己に不利益な供述や意思に反する供述をしなくてよい「黙秘権」が保障されていることも、重要なポイントなので覚えておきましょう。
勾留~裁判までの流れ

勾留された後、検察官により起訴するかどうかが決定されます。いざ裁判となれば、公平に裁判を受けられるように、国費で弁護人をつけられる「弁護人依頼権」が認められています。裁判の結果、有罪となった場合にも、残虐な刑罰は禁止されており、受刑者に対して不当な拘束はしないよう配慮されています。
★遡及処罰の禁止(39条):適法だった行為を、後の法改正で犯罪と定められたからといって、過去に遡って処罰してはならない。
★一事不再理(39条):無罪判決確定後に、同じ事件で再び裁判をして処罰してはならない。
★刑事補償請求権(40条):無罪が確定した場合には、国に対して補償を求めることができる。
以上のような権利が保障されていますが、強引な取り調べや、長時間にわたる拘束により、被疑者を心理的に圧迫した前例はゼロではありません。取り調べの可視化が進んではいるものの、多くの事件では可視化が義務付けられていなかったり、自白による証拠を重んじる警察や裁判官の姿勢があったりなど、これらの捜査・裁判のあり方を「根本的に」変えていく必要があるといわれています。
経済活動の自由の判例
最後に、これまで紹介していなかった「経済活動の自由」についてです。これは職業選択の自由や財産権の保障、営業の自由などに細分化されますが、この自由は規制されることも多いです。
例えば「医者になりたい」と思う人の経済活動の自由を尊重し、だれでも自由に医療行為をできたらどうなるでしょうか。人々の生命が危機にさらされてしまいますね。そのため、医者には国家資格が必要となり、それが取得できない場合は医療行為ができないよう制限されています。このように、「公共の福祉」を守るために多少の規制が隣り合わせになっているのが、経済活動の自由の特徴です。あとは判例を見て、具体的なイメージを付けていきましょう。
薬事法距離制限訴訟(1975最高裁判決)

この判例は職業選択の自由に関連する判例であり、最高裁で違憲判決が出ていることからも頻出判例となっています。この薬事法での距離制限が設けられた背景としては、「薬局が密集して競争が過激になった場合、値下げによる不良薬品の供給に繋がるのではないか…」という懸念があったようです。
最終的に、「薬局が近い=不良品が出回る」という理論が、そこまで合理的でないとして、違憲判決・規制無効となりましたが、職業の自由に一定の規制が為された事例として覚えておきましょう。
森林法共有林分割制限違憲訴訟(1987最高裁判決)
次に、財産権の保障に関連する判例を紹介します。

この判例でも、先ほどの薬事法距離制限訴訟と同様、最高裁にて違憲判決が出されています。森林保護という目的のために、共有林の扱いについて規制をかけたものですが、必要以上の規制であるとして廃止されました。
以上のように、必要だとして作られた規定であっても、それが過剰であると議論されることになります。そもそもの目的が間違っているわけではないため、「どこまで規制をかければいいのか」という線引きが非常に難しいところですね。時代や経済社会の変化は今後も続くため、同様の事例は増えていくのではないでしょうか。憲法であろうが法律であろうが、絶対正しいものではありません。その都度考え、必要に応じて変化させていく姿勢が重要になります。
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