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政経講義07 平和主義の歴史をわかりやすく

戦後、日本は「戦争をしない国」「武力を持たない国」として再出発を図ることになりました。では、今編成されている「自衛隊」はなぜできたのでしょうか?なぜ、アメリカ軍の基地が日本国内にあるのでしょうか?戦後から80年弱、時代が進むとともに平和主義のあり方も変わってきたことを、抑えていきましょう。

日本国憲法 第9条
目次

戦後から冷戦終結までの流れ

自衛隊創設の経緯

戦後日本は、アメリカの指示のもとで徹底した非軍事化を求められました。それに従う形で、憲法にも「戦争放棄」「武力の不保持」を記載し、徹底した平和主義を保障する国として再スタートしました。

しかし、戦後すぐに米ソの対立が表面化し、冷戦が勃発することになります。1950年には日本のすぐ近くである朝鮮半島を舞台に、米ソの代理戦争という形で朝鮮戦争が発生しました。アメリカは日本に対して軍備の放棄を指示していましたが、この戦争によって風向きが変わっていきます。

朝鮮半島といえば、日本の隣に位置しており、福岡からなら東京よりも早く着くくらいの位置関係です。アメリカにとっては、戦場のすぐ近くに、自分たちの子分がいる…という状態なんですね。アメリカは対日政策を転換し、日本に防衛力の強化を求めました。

同年、マッカーサーの指示で警察予備隊が発足し、2年後の1952年には保安隊が発足、さらに2年後の1954年に自衛隊が発足しました。朝鮮戦争をきっかけに、1950→1952→1954と2年ごとに発足したと覚えておけばよいので、ここはぜひ暗記してください。

日米安全保障条約

アメリカとの関係を語るうえで欠かせないのが、日米安全保障条約です。1951年に制定されたものと、1960年に改定された新条約との比較は整理しておきたいポイントです。

新旧安全保障条約の比較

この表にあるように、特に「米軍が日本でどのような権限を持つか」が安保条約では規定されています。

特に新安保条約制定の際には、「条約を適用する【極東】がどの範囲なのか?」「共同防衛義務があるため日本が戦争に巻き込まれるリスクはないか?」など、多くの議論を巻き起こしました。日本の平和主義が危ういと考えた反対勢力が激しいデモ運動を起こし、運動に巻き込まれて死者が出るほどの事件となりました。この運動を安保闘争といい、当時の総理大臣が岸信介(安倍晋三元首相の祖父)です。

それ以降は、日本有事への対応として、ガイドライン制定(1978)、アジア太平洋地域に安全保障体制を維持するためにガイドライン改定(1997)、地球規模で日米協力を強化するためにガイドライン再改定(2015)と、徐々に協力範囲を広げてきています。北朝鮮のミサイル発射やテロ発生、国際紛争の激化など、悪化する国際情勢の中で、法律も変化してきたということです。

最後に年表を示すので、再確認しておきましょう。

戦後~冷戦終結までの平和主義年表

冷戦期以降の自衛隊

冷戦終結後、それまで二国に隠れて表面化していなかった衝突が発生し、各地で地域紛争が発生しました。特に1991年の湾岸戦争では、クウェートへ侵攻したイラクを止めるため、アメリカを中心とする多国籍軍が派遣された。日本は平和主義の国であるため、資金援助に留めましたが、金だけ出して人を派遣しない姿勢に、国際的な批判に発展しました。これを契機に国際貢献のあり方が見直され、翌年1992年にはPKO協力法が成立。同年、カンボジアへ自衛隊初の海外派遣を行っています。

2000年代以降は、北朝鮮のミサイル発射や核開発、アメリカ同時多発テロ、ロシアとの北方領土問題、日韓関係悪化など、日本を取り巻く国際情勢も不安定です。平和主義を掲げる中で日本が世界平和のためにできることは何か?それを模索しながら変化し続けています。

現在の平和主義に関する話題は次の投稿でしていきます。(政経講義08平和主義の現状)

冷戦終結後~現在の平和主義年表

憲法9条が関わった重要判例

判例:砂川事件・恵庭事件
判例:長沼ナイキ基地訴訟・百里基地訴訟
判例:自衛隊イラク派遣差し止め訴訟
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この記事を書いた人

公民担当の高校教員としてさまざまな学校を経験。学習意欲の湧く教材作りをモットーに、プリントを自作しています。高校生や先生方の参考になれば幸いです。Instagramではニュース動画の投稿をしています。※このサイトはアフィリエイト広告(Amazonアソシエイト含む)を掲載しています。

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