戦後、日本は「戦争をしない国」「武力を持たない国」として再出発を図る。では、今編成されている自衛隊はなぜできたのか?なぜアメリカ軍の基地が日本国内にあるのか?戦後から80年弱、時代が進むとともに平和主義のあり方も変わってきたことを抑えよう。
▼戦後から冷戦終結までの流れ
自衛隊創設の経緯
戦後日本は、アメリカの指示のもとで徹底した非軍事化を求められた。それに従う形で、憲法にも戦争放棄、武力の不保持を記載し、徹底した平和主義を保障する国として再スタートした。
しかし、戦後すぐに米ソの対立が表面化し、冷戦が勃発する。1950年には日本のすぐ近くである朝鮮半島を舞台に、米ソの代理戦争という形で朝鮮戦争が発生する。この戦争を機に、アメリカは対日政策を転換し、日本に防衛力の強化を求めた。同年、マッカーサーの指示で警察予備隊が発足。2年後の1952年には保安隊が発足、さらに2年後の1954年に自衛隊が発足した。
日米安全保障条約
アメリカとの関係を語るうえで欠かせないのが、日米安全保障条約。1951年に制定されたものと、1960年に改定された新条約との比較は整理しておきたい。
この表にあるように、特に米軍が日本でどのような権限を持つかが安保条約で規定されている。新安保条約制定の際に、「条約を適用する「極東」がどの範囲なのか?」「共同防衛義務があるため日本が戦争に巻き込まれるリスクはないか?」など、多くの議論を巻き起こし、激しい反対運動が発生した。この運動を安保闘争という。
それ以降は、日本有事への対応として、1978年ガイドライン制定、アジア太平洋地域に安全保障体制を維持するために1997年ガイドライン改定、地球規模で日米協力を強化するために2015年ガイドライン再改定と、徐々に協力範囲を広げてきている。北朝鮮のミサイル発射やテロ発生など、悪化する国際情勢の中で、法律も変化してきた。
最後に年表を示すので、再確認しておきましょう。
▼冷戦期以降の自衛隊
冷戦終結後、それまで二国に隠れて表面化していなかった衝突が発生し、各地で地域紛争が発生した。特に1991年の湾岸戦争では、クウェートへ侵攻したイラクを止めるため、アメリカを中心とする多国籍軍が派遣された。日本は平和主義の国であるため、資金援助に留めたが、金だけ出して人を派遣しない姿勢に国際的に批判された。これを契機に国際貢献のあり方が見直され、翌年1992年にはPKO協力法が成立し、自衛隊初の海外派遣を行っている。
2000年代以降は、北朝鮮のミサイル発射や核開発、アメリカ同時多発テロ、ロシアとの北方領土問題、日韓関係悪化など、日本を取り巻く国際情勢も不安定である。平和主義を掲げる中で日本が世界平和のためにできることは何か?それを模索しながら変化し続けている。
現在の平和主義に関する話題は次の投稿でするとします。
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