はじめに
新たな教科として始まった公共。今後入試科目として組み込まれることが決まった以上、入試問題に対応できる授業を考えていかなければならないとは思っています。しかし、せっかくの新科目なのでできるだけ新たな挑戦を組み込んでいきたいとも思っています。
私の意識としては、1時間のうちに作業できる時間を10分~15分(50分授業のうち)確保したいという目標を持ちながら、授業作りを進めています。実践した中で手応えのあったものを、本サイトでも紹介していこうと思います。参考になれば幸いです。
関連 : 授業プリントのページ
作業ネタの設定単元
今回の作業ネタは、「正義や公正」「功利主義と義務論」などと関連付けて行ったものです。カントによる義務論と、ベンサムやミルによる功利主義を学び、「正しさ」についての見方を深めていくために取り上げました。代表的なもので「トロッコ問題」がありますが、有名過ぎて中学校で実施済みの生徒がいることや、現実的な問題に着目したい思いから、敢えて避けています。
作業の流れ
(Ⅰ) トリアージとは何か?
授業プリントに載せたの形としては、以下の通りです。
本授業ではトロッコ問題を軽く触れておいて、ではもう少し現実的な問題に…という流れでトリアージの問題へ展開していきます。そもそもトリアージとは、緊急医療の現場で災害等で多数の傷病者が発生した場合、できるだけ多くの人を救うため治療優先度を決めるものになります。語源はフランス語で「選び出す」という意味を持つ「trier」であり、緊急度や程度に応じてレベル分けをします。日本ではトリアージタッグを用いて、色により緊急度を示しています。
これらの作業はできるだけ多くの命を救おうという“功利主義的”な考えに基づいています。この仕組みが必要だという意見がある一方で、一瞬での判断が難しいことや、それに伴うミスも生む可能性があり、是非が問われています。
このいわば「命の選別」ともいえる制度について、考えさせていきましょう。
(Ⅱ) 失敗した医師を罪に問えるか?
トリアージは1分もない時間で医師が緊急度を判断します。中には助かる見込みがない意味をもつ「黒」と判断される患者もいるでしょう。しかし、短時間の判断では当然完璧とは言えず、もしかしたら心肺蘇生を行えば助かったかもしれない可能性を、潰してしまう恐れもあります。
例えば、皆さんが対象者の家族だったとして、命が助からなかった場合に黙っていられるでしょうか。医師の判断次第では助かったのでは?と怒りをぶつけてしまうかもしれません。仮に医師の判断ミスで命が失われた場合、罪に問うことができるでしょうか?
ちなみに日本では、これに関する法整備は不十分です。場合によっては医師が罪に問われる可能性だってあるということです。医師はより多くの命を救おうと必死に救命活動を行ったと思うと、医師側の視点では不憫でなりません。一方アメリカやカナダでは、「災害などにあった人を助けるために善意から行った行為による失敗は罪を問われない」という考えがあるため、医師が罪に問われる可能性は低いでしょう。
(Ⅲ) トリアージの制度自体をどう考えるか?
トリアージは全患者を救うことが目的というより、より多くの患者を救うことが目的です。これは、多少の犠牲を払ってもなるべく多くの患者を救うべきという「最大多数の最大幸福」を実現した制度といえるでしょう。
この考え方には「人の命に順位を付けて良いのか」「重症者を見捨てて良いのか」という意見があるのも事実ですが、より多くの命を救うための措置として取り入れられています。どちらの立場も考えられるテーマなので、まんべんなく意見が出そろうように発表させるといいと思います。
最終的にカントの義務論と、ベンサムの功利主義に繋げてまとめます。賛成側は功利主義的な考え、反対側としては「目の前の命を全力で救うべき」「助けを求める人を見捨ててはいけない」という義務論的な考えだとまとめます。現実的な問題と繋げることで、カントやベンサムの主張が整理できれば、目標達成です。
前回の「善とは何か?」の授業ネタと被る部分もありますが、公共の教科書にはよく登場する考えなので、復習に活用するのもおすすめです。
実施した後の反省点
よかったら試してみてください!
コメント