政経まとめ43 –軍縮問題–

国際分野

今回は「軍縮問題」について。第二次世界大戦で日本が被爆したことで、核兵器の脅威が鮮明となった20世紀後半。世界では、この核兵器が使われない未来を目指して、ミサイルや核弾頭の削減を進めてきた。この動きを軍縮という。

この単元は難しい用語が多いことや、似た言葉が多いことで、入試でも難関となる。すべてをまとめて覚えようとすると混乱するので、①世界の動き②米ソ間の動きという2つの軸で整理していく。

①世界全体での軍縮

◆軍縮のはじまり

まずは年表で流れをつかもう。

世界全体での軍縮 年表

大まかな出来事は表のとおりだが、軍縮が進んだきっかけはやはり広島・長崎の原爆投下が大きい。加えて1954年にもアメリカの水爆実験で日本の第五福竜丸が被爆しており、ますます軍縮の動きが強まった。

翌年の1955年に英の哲学者ラッセルと米の物理学者アインシュタインによる宣言が発表され、核戦争の危険を訴えた。その二年後には、世界各国の科学者が集ったパグウォッシュ会議にて、核兵器に関する討議が行われている。

◆軍縮条約の本格化

軍縮条約が本格的に進められたのが、1960年代のこと。1963年に部分的核実験禁止条約(PTBT)が調印された。きっかけは前年に発生したキューバ危機。関連付けて覚えておこう。

この条約はその名の通り核実験を禁止するものであったが、ポイントは「地下実験を禁止していない」ということ。だから部分的という言葉がくっついている。ではなぜ地下実験はOKにしたのか?

実は、地下実験自体が一定の技術が必要で、当時の世界では米・ソ・英のみが進んでいた。つまり、特に地下実験が進んでいた米・ソにとって有利な条件であり、まだ十分に実施できない仏・中の2国はこの条約に署名しなかった。結局、地下実験はどんどん実施されており、完全な軍縮には程遠かった。

1968年に結ばれた核拡散防止条約についても、米英ソ仏中の5カ国以外の核保有国を防ぐ内容であり、裏を返せば5カ国の核廃絶には効果が無いものであった。

1996年に採択された包括的核実験禁止条約(CTBT)は、これまでの軍縮条約とは異なり、すべての核実験を禁止する条約であった。(※爆発を伴わない臨界前実験は可とする。ちなみに米・露で進んでいる実験)しかし、発効するために必要な国数が批准しておらず、現在も未発効となったままだ。それだけでなく、署名していないインド・パキスタンが1998年に核実験北朝鮮は2006年~数回の核実験を起こすなど、5大国以外の核保有も問題となっている。

この単元のポイント
①「PTBTは地下実験OK」
②「CTBTは未臨界実験以外全て禁止だが、まだ未発効」

次のページで米ソ間の軍縮について解説します!

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