政経まとめ42 –冷戦の歴史③–

国際分野

今回は「冷戦の歴史」最終回。冷戦が終結する前後の流れ、冷戦後の世界について解説をしていきます。

まずはここまでの流れを復習しておこう。アメリカを中心とする西側陣営ソ連を中心とした東側陣営による二極化が弱まり、両国の影響力が薄れていった。同時にアジアやアフリカ地域を中心に、東西陣営どちらにも属さない第三世界が台頭する。国際社会は多数の国が主導する時代となった。忘れている人は、もう一度前回のまとめを読んでおこう。➡【まとめ41 冷戦の歴史②】

①新冷戦の時代

1980年代になると、アメリカは軍拡政策を実施し、ソ連のアフガニスタン侵攻も泥沼化した。核戦争の脅威が再び緊張状態を生み出し、この時期は新冷戦時代と呼ばれた。しかし、両者の財政状態は厳しく、軍縮が進展することとなり、東西対立は緩和されていった。

80年代後半になると、アメリカは軍拡の赤字と貿易による赤字(=双子の赤字)に悩まされ、財政は圧迫していた。一方ソ連では、社会主義国家が衰退する中でゴルバチョフ書記長が就任し、改革に着手する。特に政治面では新思考外交という軍縮・冷戦構造の脱却を目指す動きを見せ、冷戦終結を引き寄せた。

②冷戦の終結

1989年のマルタ会談で、ゴルバチョフが東欧の改革支持やドイツ統一について合意し、冷戦の終結を宣言。ここで30年以上続いた対立が終了したことになる。対立のきっかけとなったのがヤルタ会談であるため、間違えないように注意しよう。「冷戦はヤルタで始まりマルタで終わる」と覚えておく。

マルタ会談

ここで覚えにくいのが、冷戦終結前後の流れについて。ソ連消滅=冷戦終結ではないため勘違いしないように。下の年表を見て欲しい。

冷戦前後の年表

まず、ドイツに焦点を合わせると、ベルリンの壁が崩壊したのは冷戦終結の「前」であることに注意。東ドイツが旅行や国外居住を規制緩和する政令を出したことをきっかけに、多くのベルリン市民が殺到した。混乱の中で、翌日この壁は撤去された。

ベルリンの壁崩壊

その後、マルタ会談にてドイツ統一について合意され、冷戦も終結。翌年の1990年に東西ドイツが統一したという流れである。

また、ソ連は冷戦終結と同時に崩壊したわけではない。原因としては、ゴルバチョフが進めたグラスノスチ(情報公開)で自由な思想が入ってくることになり、民主主義への高まりを見せたことや、元々衰退していた経済がますます深刻化したことなどがある。1991年12月、ロシアを始めとした12共和国が、ソ連に代わる新しい枠組みとして独立国家共同体(CIS)の設立を宣言したことで、明確にソ連の消滅が宣告された。

③冷戦後の世界

冷戦後の世界はどうなったか。残念ながら、平和な世界になったとは到底言えない状況になる。

冷戦後の世界

まず、アメリカが唯一の大国となったことで、発言権は大きくなり、単独行動をとることも目立つようになった。特に中東との関係が悪く、1991年には対イラクの湾岸戦争、テロとの闘いの中で2003年にはイラク戦争などが発生した。また、これまで東西陣営に抑えられていた国は、冷戦期の我慢が噴き出すように、独立を求める民族紛争が起きた。アジアやアフリカで多く発生し、虐殺や大量の難民が発生することになった。98年にはインド・パキスタンが核実験、06年には北朝鮮がミサイル発射など、核開発の進展も問題となっている。

アメリカと中東の関係

以上のように、東西対立の面が消えても、民族・人種対立の表面化や南北の格差問題、グローバル化への動きなどが、複雑に絡み合う新しい状況が生まれた。これをポスト冷戦期と呼ぶ。

どんな地域紛争が起きていたか、また核兵器の軍縮などについては、次回以降のまとめで解説します。

コメント

PAGE TOP
タイトルとURLをコピーしました