政経まとめ41 –冷戦の歴史②–

国際分野

前回から始まった、冷戦の歴史について。第2回となる今回は「多極化する世界」について解説します。

まずはここまでの流れを復習しておこう。戦後冷戦が始められ、アメリカを中心とする西側陣営ソ連を中心とした東側陣営と勢力が二極化した。このどちらにつくのかと他国を巻き込み、世界の中心となっていたことを思い出してほしい。忘れている人は、もう一度前回のまとめを読んでおこう。➡【まとめ40 冷戦の歴史①】

冷戦開始当初の勢力イメージ

①第三世界の台頭

1960年代に入ると、これまでの対立構図を揺るがす存在が現れる。アメリカ側にもソ連側にも所属しない国々であり、これらの勢力は第三世界と呼ばれるようになった。

第三世界の動き年表

この第三世界は、東南アジアや中東、アフリカなどの国々が主である。当時ソ連と対立しアメリカとの接近を図ろうとしていた中国は、インド首相ネルーとの会談で「平和5原則」を採択する。その翌年、アジア・アフリカの29カ国が参加するバンドン会議が開催され、先ほどの平和5原則を発展させた「平和10原則」を採択した。中心となったのは、インド・中国・インドネシア・エジプトなどで、東西陣営どちらにも属さず平和共存路線を目指した。

その後も、1960年にはアフリカで17カ国が独立を果たす記念すべき「アフリカの年」を経て、1961年には東西どちらにも属さない国々の首脳会議が開催された。この非同盟諸国首脳会議は、現在でも開催され続けている。

②米ソ以外の動き

先ほど述べたように、東側では中国という大きな勢力がソ連と対立し始めていた。加えて、東欧諸国も自立を目指し、1956年にはポーランド・ハンガリーの反ソ連運動、1968年には東側陣営であったチェコスロバキアによる変革運動(=「プラハの春」)が発生した。最終的に鎮圧されるものの、後の東側陣営に影響を与えたことは間違いない。

では、西側陣営はどうであったか。日本はちょうど高度経済成長の真っただ中。大きな飛躍を遂げ、GNPがアメリカに次ぐ2位となった。また、西欧諸国では、後にヨーロッパ連合となるヨーロッパ共同体(EC)が結成され、欧州諸国の勢力が拡大。1966年にはフランスが独自の戦力構築を実施し、アメリカから自立するスタンスを取るため、NATOを脱退した。

多極化する世界(1960年代~)

このように、国際社会では多数の国が主導性を発揮する「多極化の時代」を迎えることとなった。以下の図にここまでの内容をまとめたので、しっかりと覚えておこう。

次回は、その後から冷戦の終結、さらにはその後の国際情勢についてまとめていきます。

多極化する世界のポイント

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