政経まとめ40 –冷戦の歴史①–

国際分野

今回から3回に分けて、冷戦の歴史を解説します。第1回で冷戦の始まり~キューバ危機まで、第2回で多極化する世界について、第3回で冷戦の終結~冷戦後の世界について解説します。

まず始めに、冷戦とは何か?

冷戦とは直接戦闘することなく、対立状態が続いた様子を表したものであり、アメリカソ連を中心とする対立を指す。当時2強大国であった両国に、ヨーロッパ諸国などが組み合わさった。アメリカを中心とする陣営は西側陣営ソ連を中心とした陣営は東側陣営と呼ばれた。また、国の方針にならい、西側を資本主義陣営、東側を社会主義陣営と呼ぶこともある。

➀冷戦のはじまり ~米ソの対立~

この冷戦は、戦後世界についての話し合いがまとまらなかったことが発端となっている。1945年に開催されたヤルタ会談では、米英ソの三首脳が戦後の国際政治体制について話し合った。ここで特に議論になったのが戦後のヨーロッパ支配。敗戦が濃厚となっていたドイツ、ドイツに占拠されていた東ヨーロッパ諸国について、勢力を拡大させたいソ連と、ソ連が大きな力を持つことを危惧する米・英とが揉めてしまった。結局ドイツは東西に分割されることになり、両者の溝が生まれることとなる。

冷戦下の勢力図

ヨーロッパの勢力図を見てもらえば一目瞭然で、ソ連(現ロシア)に近い東欧諸国が東側陣営、大西洋に近い西欧諸国がアメリカ側についた西側陣営と分断された。

そして、この分断がより明確になった出来事がイギリス首相のチャーチルによる「鉄のカーテン演説」である。(1946年)

鉄のカーテン演説

この発言以降両者の対立は加速し、政治面だけでなく、経済面や軍事面においても対立が生じるようになる。これらをまとめた表を以下に出すが、入試でも頻出なので全て覚えておきたい!

冷戦初期の対立構図

②朝鮮戦争 ~米ソの代理戦争~

両者の対立が深まる中、1950年から朝鮮半島を舞台とした戦争が発生する。朝鮮半島をめぐる北朝鮮韓国による戦争だ。この戦争に、米ソ両陣営が支援に回ったことにより、米ソによる「代理戦争」という意味を持つこととなった。

朝鮮戦争のポイント

この戦争は、1953年をもって休戦状態となったが、以上のような代理戦争は1960年代以降ベトナム戦争においても見られた。

1950年代後半に入ると、資本主義陣営は経済成長を遂げていく一方、東側陣営はソ連が進める社会主義に染まっていった。特にドイツでは西ドイツ東ドイツの経済格差が大きくなっていき、東側から西側へ逃れる人も増えていった。

当時、東ドイツ内にあったベルリン市は、西ベルリンと東ベルリンという分かれ方をしており、それぞれをアメリカ側・ソ連側が治めていた。しかし、上にあるような状況下で、1961年に東ドイツが「ベルリンの壁」を建設した。これは冷戦の象徴的建造物となる。余談になるが、ベルリンの壁とは東西ドイツの間に建設された訳ではなく、ベルリンを分断したものであることは勘違いしやすいので、知っておこう。

③核戦争の危機~キューバ危機~

ソ連の指導者がスターリンからフルシチョフに代わり、1959年には米ソ首脳会談も開催された。一時は両者が歩み寄りを見せていたが、1960年代に入ると最も危機的状況となった事件が起きる。

発端となったのは1959年のキューバ革命。元々アメリカの子分的存在だったキューバであったが、政権を打倒しようとチェゲバラやカストロを中心とする革命運動が起きた。これにより、キューバは社会主義国へと変化していった。

つまり、社会主義国であるソ連側の陣営に入ることを意味しており、アメリカにとっては急に近くに敵ができたことになる。

当然ソ連はこれをチャンスと見て、キューバ近海にミサイル基地建設を目指した。何としても止めたいアメリカは、海を渡ってくるソ連を足止めしようとする。海上で両者のにらみ合いが続き、核戦争が発生する一歩手前と言われるほどの緊迫した状況となった。

結果、事なきをえた両国は、首脳間を繋ぐ電話回線(=ホットライン)を開設し、有事の際に連絡を取れる体制を整えた。

ひとまず第1回はここまで。次回はこの米ソの2強体制が揺らいでいく流れを、ポイントを抑えながら解説していきます。

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