政経まとめ30 –日本経済の歴史③–

政経まとめ

今回のまとめでは、高度経済成長期が終焉した後、どのように景気を回復させたのか、またバブル経済期の突入、バブル崩壊からの失われた10年など、多くの転換点を順番に抑えていく。「なぜそうなったのか」という部分を丁寧に理解しよう。

➀安定成長期の時代(70年代~80年代)

高度経済成長期終焉からの日本

オイルショックやニクソンショックを要因として終焉した高度経済成長期。その後、日本はどのように経済を転換させていったか。

大きな変化は、産業の特徴にみられる。石油危機前は重厚長大型というエネルギーを大量消費する形の産業が主流であったのに対し、石油危機後は軽薄短小型という省エネルギー型の特徴に転換した。その結果、第二次石油危機の際には、さほど大きな影響を受けずに済んだ。「量」中心の経済から、「質」重視の経済に転換し、サービス化・ソフト化を進めた日本は、安定成長期という緩やかな経済成長の時期に入る。

高度経済成長期が終わったからといって、不況が長引いたわけではないということを覚えておこう。

また、産業構造も高度化し、第1次産業よりも第2次・第3次産業の比重が大きくなっていった。

ペティ・クラークの法則

貿易摩擦の発生

一方、この安定成長期(1970年代後半~1980年代)の時期に問題点となったのが、アメリカとの貿易摩擦である。貿易摩擦とは、輸出と輸入がアンバランスとなることで生じる衝突である。この頃の日本は自動車産業が盛んで、アメリカでも大人気となった。日本車が好調になればなるほど、日本の輸出額は大きく増え、一方アメリカは損をする形となった。米国内で日本車の不買運動が起こるなど、大きな問題となった。

②プラザ合意からバブル経済へ[1985~90]

アメリカは、貿易赤字だけでなく、ソ連との冷戦が影響し軍事費による財政赤字も抱えていた。これは「双子の赤字」と呼ばれているが、とにかくアメリカの経済は深刻であった。そんな中、アメリカの経済を立て直そうと「ドル安への誘導」を目指すこととなる。なぜドル安を進めたかを細かく説明するのは、国際経済分野に回す予定ですが、簡単に言えば、アメリカの商品の値段が安く売れやすくなることから、輸出が有利になるということ。ドル安への誘導により輸出を強化し、貿易赤字の改善を目指した。この会議がNYのプラザホテルで開催されたことから「プラザ合意」と呼ばれている。

プラザ合意の時に撮影された集合写真

アメリカの輸出を有利にするということは、日本の輸出は逆に不利になるということ。これにより、好調だった日本の輸出は停滞した。一方で、輸入価格は低下し物価が下がったことや、減税などの措置で内需(国内での需要)を拡大していこうと動き始める。

そして、特に大きな政策として「低金利政策」を実施したことが、後のバブル経済に繋がることになる。

③バブル景気の発生

国内のお金の回りを活性化するため実施した「低金利政策」。お金を借りやすい状況を作ることで、多くの人や企業がお金を動かし、国内だけで経済の活性化を目指そうとした。

話は変わるが、当時の日本には「土地神話」といういわゆる噂話があった。日本の土地はこれから値上がりしていくに違いない!という言い伝えである。

お金を借りやすい状況+必ず値上がりする土地…この二点が相まって、投資ブームが起こることになる。

ここからは、投資が投資を呼び、どんどん地価は上昇していく。併せて株価なども上昇し、日本は空前絶後の好景気となった。この景気こそがバブル景気、またはバブル経済と呼ばれるものである。

しかしこの好景気は長く続かない。よく考えてみてほしい。好景気の要因は何か?

例えば「輸出が好調」とか「技術の急激な進歩」とかなら中身があるね。でもバブル景気は違う。「土地の値段が上がるはずだ!」という噂話に人々がどんどん乗っかっていったことが要因。つまり好景気になるような根拠はなかった。ある時、景気が過熱していった経済を抑えるため、「金融引き締め」を実施したころ、地価・株価の下落が発生した。これがバブル崩壊を加速させる。急激に上昇したものは下落も急激であり、調子に乗って実力以上の資金を動かしていた企業は倒産、お金を貸していた銀行はお金が返ってこない(=不良債権)問題が発生した。中には倒産した銀行もある。この中身がない好景気が膨らみ続け、少しのきっかけで一気に破裂したような経済を、中身が空洞でパンと割れる「泡」になぞらえて、バブル景気と呼ばれるようになった。

④バブル崩壊~失われた10年(1990年代)

バブル崩壊を経た日本経済は、一気に衰退の途をたどることになる。不良債権の処理に追われた銀行は、貸出に消極的になる「貸し渋り」を行い、資金を回せない企業の経済活動はさらに停滞。経営に苦しむ企業では「リストラ」を行い、経営整理をしていったが、それでも倒産する企業が相次いだ。これまでの経済活動が難しくなったことで、雇用にも変化が訪れる。入社したら定年までの雇用を保障する「終身雇用制」は不可能になり、非正規雇用者の割合が増加した。また、賃金についても歳を取れば自然と給料が上がる「年功序列型賃金」の維持が出来ず、成果主義・実力主義の賃金体系にした企業も増えた。

バブル崩壊後の日本経済

このバブル崩壊をきっかけに、苦しい時期を過ごした1990年代の10年間は「失われた10年」と呼ばれ、多くの損害をもたらしたことを抑えておこう。2000年代に入れば小泉純一郎による構造改革により、変化を遂げていくが、後を継ぐ首相が短命で交代し自民党への支持が低迷。民主党へ政権交代を果たすも、同時期にリーマンショック(2008-09頃)東日本大震災(2011)に見舞われた影響もあり、信頼は勝ち得ることが出来ず再び自民党政権へ。この2010年までの10年間も、経済的に上向いたわけではなかったことから、1990年~2010年をまとめて「失われた20年」と呼ぶこともある。

それぞれの転換点となった部分を特に丁寧に、理解してもらえればと思います。今回はここまで。

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