政経まとめ28 –日本経済の歴史①–

政経まとめ

今回は日本経済の歩みについて、ポイントをまとめていく。歴史の話なので、さまざまな物事が繋がり合っていくことを理解しながら知識を抑えてほしい。このまとめでは戦後から高度経済成長期まで。年号にすれば1945年~75年ごろの話になる。

➀戦後からの復興をめざして

戦後経済の民主化

第二次世界大戦により、日本は国富の4分の1を失う大損害を受けた。敗戦国としてアメリカの占領下に入り、新たな国づくりをめざしていくことになる。そこでまず実施したのが、経済の民主化政策。

経済の民主化政策

戦時中、国の方針にさまざまな事項が制限・抑圧された反省を生かし、経済においても「自由化」「民主化」をテーマに自立させていくことを目指していった。

復興への第一手 ~傾斜生産方式~

では、実際に何から着手していったか。とにかくボロボロの状態であった日本経済において、すべてを建て直していくのは難しかった。そこでまずは、基幹産業から復活させようという政策を実施する。

その政策は傾斜生産方式と呼ばれるものであり、基幹産業(鉄鋼・石炭)の復興に重点的に資金を投入していく方針を取った。シーソーの下側に鉄鋼や石炭があるイメージで覚えておこう。

しかし、そもそも財源がないことは変わらない。この基幹産業復興のために、日本政府は復興金融金庫という会社を設立し、債権を発行させた。簡単に言えば借金のために紙幣を大量発行したということ。もう一つはアメリカからの支援に頼った。つまり、当時の日本経済は「借金とアメリカのお金」で成り立つという極めて不安定な状態だったため、竹馬経済と呼ばれる。

竹馬経済

続く不況からの脱出をめざして

この借金による紙幣の大量発行により、日本は戦前の200倍という急激なインフレーションが発生する。このインフレを収束させるために、アメリカが経済自立を促す政策を打ち出す。

この流れは重要なので、しっかり抑えておこう。まずアメリカがGHQを通して経済安定九原則を打ち出し、今後の経済自立を促す。それらを具体化したのが、ドッジライン。アメリカの銀行家であるドッジが来日し、超均衡予算や借金の禁止を進めた。

当然、経済を引き締めれば、国民の生活は苦しくなる。インフレは脱出したものの、今度は深刻な不況に襲われることに…。1945年からの5年間、日本経済は大きなダメージを抱えたまま、苦しい時代を過ごしたことをイメージしておいてほしい。

②朝鮮戦争の勃発

 長引く不況に苦しむ日本だったが、ここで経済において大きな転機が訪れる。それが1950年に勃発した朝鮮戦争だ。平和主義を掲げる日本は、当然この戦争に直接関わったわけではないが、隣国ともいえる北朝鮮と韓国との間に発生した戦いということで、影響は大きかった。

占領下にあり、親分であったアメリカは、この戦争で韓国側を支援していく。すると、隣国の日本に対し、武器や消耗品の注文が殺到したんだ。これにより、日本経済は好景気が訪れることとなり、特需景気と呼ばれている。普段あるはずの無い「特別な需要」を略して「特需」という。あれだけ不況だった日本経済に希望の光が見えるということは、戦争でどれだけ莫大なお金がかかっているのか…と思ってしまう。

朝鮮戦争による好景気がずっと続いたという訳ではないが、これを契機に日本経済は上向いていく。5年後にあたる1955年の『経済白書』に「もはや戦後ではない」という表現が掲載されるなど、この頃には戦前の水準を取り戻した。戦後から約10年の出来事であり、このペースでの復興は驚異的なスピードであった。

それからは、国民の高い貯蓄率や企業の積極的な設備投資が功を奏し、高度経済成長と呼ばれる好景気に突入していくことになる。

思いのほかボリュームが多くなってしまったので、今回のまとめはこの辺で終わりにしておきますね。つづく。

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