政経まとめ18 –近年の日本政治–

 さて、政治分野ラストのまとめとなりました。ここでは2000年代~2020年の近年に発生した時事内容を中心に紹介していく。入試問題は作成に時間がかかるため、時事問題と言っても直近の出来事は問題にしにくい。ここ10年以内の出来事を中心に対策しておく必要がある。流れで理解していきましょう。

 2000年代の話に入る前に、まずはその時の日本の状態を簡単にまとめておく。

2000年代以前の日本

 2000年代以前の日本は、決していい状態とはいえなかったであろう。まず経済面は、90年代前半にバブルが崩壊した影響で、深刻な不況に陥っている状態。1990年前半から2000年代前半にかけての10年間は「失われた10年」と表現されるほどの状態であった。政治面でも長年続いた自民党から非自民8党が政権を奪ったものの、長くは続かず首相交代が相次いだ。

 1990年代後半からは、自民党が政権に復帰し、公明党などと連立政権を形成しながら政権を運営していくことになる。さて、この日本がどのように2000年代へ突入していったか。簡単な年表を先に提示しておく。

①2001年~小泉純一郎内閣

 まず2000年代初め、有権者の期待の下発足した小泉内閣は、根本的な改革行ったことで有名。彼による改革は「構造改革」と呼ばれ、歳出削減や規制緩和、民営化を推進していった。つまり「小さな政府」を理想とした改革だ。

 その中で最も大きく掲げた改革が「郵政民営化」である。当時国が運営していた郵政三事業(郵便・簡易保険・銀行)を民営化することで、公務員の削減や法人税の増収、サービス向上をねらったものであった。

 しかし、全国にかかわる大規模な改革であり、サービスの低下などを理由に反対意見も多く、衆院ではかろうじて可決するも、参院では否決された。そこで小泉内閣は解散総選挙を実施。国民に郵政民営化の賛否を問う形で、選挙を実施した。

結果は自民・公明の圧勝。3分の2以上の議席を獲得し、参議院で否決されても再可決が可能となる数まで議席を伸ばした。この時、小泉首相により送り出された刺客は「小泉チルドレン」と呼ばれ、片山さつきや杉村太蔵がこのメンバーに含まれる。

②2000年代半ば 首相が相次ぐ交代

 小泉内閣の後、安倍晋三内閣が誕生する。小泉路線を受け継ぐ形で就任したが、閣内や党内議員の不祥事が頻発。支持率は小泉内閣以来最低を記録し、2007年の参院選でも敗北。約1年という短さで、体調の悪化を理由に総辞職することになる。

 その他にも、「消えた年金問題」や「天下り問題」が厳しい追及に遭い、自民党にとっては逆風が続く。安倍晋三を継いだ福田康夫首相も約1年、その後の麻生太郎首相も約1年と、相次ぐ首相交代劇に自民党への支持は薄れていった。

③2009年 民主党へ政権交代

 2009年の衆院選、野党第一党であった民主党が大勝。しかし、民主党政権は3人の総理大臣で終了する。鳩山由紀夫首相は普天間基地移設問題や政治資金問題による支持率低下で辞任(9か月)。

 菅直人首相も悪い流れが止められず、参院選で敗北。「衆院は民主党・参院は自民党」という、いわゆる「ねじれ国会」の状態になった。そのタイミングで、東日本大震災が発生し、対応の不手際が問題視され辞任(約1年3ケ月)。

 続いた野田佳彦首相は一定の評価が得られたものの、当初民主党は反対していた消費税増税を推進。こうした政策のブレが影響し党内分裂が起こり、当然支持率の低下にもつながった。結果、国民からの期待に応えることができずに2012年の衆院選で大敗を喫し、同年に2度目の安倍晋三内閣が誕生した。

④2012年~ 安倍晋三首相による長期政権へ

 ここからは、現代まで一気に流れを進めていく。

まず安倍政権が着手したのは、経済成長戦略。3つの代表的政策を「アベノミクス 三本の矢」と称し、推進していった。

その後、2015年には次のステージに入ったとして、「新三本の矢」を掲げた。

 アベノミクスや東京五輪の開催決定により、株価上昇や企業の業績向上などの成果は得られた。しかし、国民レベルでの実感が得られたかは疑問視されることも多く、「業績の向上→給与の増加→消費の増加」といったサイクルが達成できたか微妙なところである。

 現在コロナウイルスの影響で、世界的な不況が危ぶまれている中、日本はどのように立て直しを図っていくのか。政府の手腕が問われている。

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