政経まとめ17 –日本政治の歴史–

政権の転換点

 戦後の日本において、政権を担う与党がどのように移り変わってきたのか。この転換点をとらえることで、まずはざっくりと歴史を整理していく。抑えておくポイントは3つある!

 自由民主党(以下自民党)を青色で、その他の政党は赤色で表記した。まずは表を見て視覚からイメージを膨らませてほしい。

 この表からもわかるように、戦後日本においてはほとんどの時代が、自民党による政権となっている。大きく3つと紹介した転換点を、それぞれ詳しく見ていこう。

point1 55年体制の始まり(1955)

 戦後政治を語るうえで、一番外せないのがこのワード。その名の通り、1955年から始まっているため「55年体制」と呼ばれているのだが、「自民党の一党優位政治」と置き換えてしまえばわかりやすい。この経緯を簡単に紹介する。

 この年、もともと右派と左派に分裂していた社会党が合流し日本社会党が誕生する。それに対抗するため、自由党と日本民主党が合同してできたのが自民党だ。この二大政党による政治を55年体制と呼ぶが、実際は二大というほど拮抗していなかったこともポイント。

このように、両者の議席数には倍以上の開きがあった。よって「1と2分の1政党制」なんて呼ばれ方もしていた。実質自民党の一党優位の時代が、これから38年間続くことになる。

point2 55年体制の崩壊(1993)

 さて、38年にわたり続いた自民党政権だったが、ついに1993年その体制が崩壊する。大きな原因があったというわけではないが、長年単独政権で大きな権力を手にしていたことで、汚職事件(1970年代ロッキード事件、1980年代リクルート事件)が慢性化していたのが一つの理由。

1990年代前半には宮澤喜一内閣の公約が実現しなかったこともあり、1993年内閣不信任案が可決された。本来仲間であるはずの自民党議員も、多くの議員が内閣不信任案に賛成し、自民党を離党していった。その後の衆院選の結果がこれだ。

 見てわかるように、自民党より多くの議席を取った政党はない。しかし、離党した議員をはじめ、「非自民」のもとで8つの党派が結託した。これにより自民党の議席を上回り、1955年以来初めて、自民党が政権の座を失うこととなった。

 その後、新しく誕生した政権は長くは続かず、1年後には自民党が政権の座に戻ってくる。しかし、この間に公職選挙法を改正し、一党優位になりやすい中選挙区制から小選挙区比例代表並立制を導入するなど、政治改革を実現させた。

point3 政権交代(2009)

 1990年代後半、政権の座に返り咲いた自民党は、社会党や自由党などと連立政権を組みながら、政権運営にあたっていた。1999年には公明党と連立を結成し、2020年現在もこの両党が与党となっている。

 2000年前半は、小泉純一郎総理が高い期待を背負って改革に乗り出す。郵政民営化は彼にとって代名詞ともいえる改革の一つだ。しかし2000年中ごろに入ると、年金問題や天下り問題などにより、自民党への追及が厳しくなる。2006年の安倍晋三内閣からは、2007年福田康夫、2008年麻生太郎と約1年で総理が交代する不安定な状況となり、2009年についに政権交代が起こることになった。

 2009年の衆院選、野党第一党であった民主党が大勝。2007年の参院選でも議席数を確保していたため、完全に政権を自分のものとした。1993年の政権交代とは異なり、自民党以外の政党が第一党となる本格的な政権奪取は、1955年以来初めてのことであり、歴史的な出来事であった。

 民主党政権は3人の総理大臣で終了する。リーマンショックによる不況、東日本大震災など、難しい運営になったのも事実だが、国民からの期待に応えることができずに2012年に安倍晋三内閣が誕生している。

 次の単元では、2000年代からの政治についてまとめていく。時事的な内容も含まれるので、入試で時事問題が含まれるような大学を希望している人は、要チェックです。

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