政経まとめ27 –バブル後の金融政策–

政経まとめ

今回は金融政策の続き。日本では1980年後半~90年頃にバブル経済という空前絶後の好景気が発生するが、崩壊後はその代償が大きく、企業や金融機関の倒産が相次いだ。この流れの中で、金融機関の在り方や金融政策の方法も大きく変化しているため、そのポイントをまとめていきたい。

➀金融の自由化

戦前から1970年代

戦前からの日本では、金融機関の倒産を防止するために国による手厚い支援が実施されていた。規制も多く、競争も少なかった当時の運営方法を護送船団方式という。護送船が横並びで同じペースで進んでいるように、金融機関も国によって統率されながら運営していたというイメージを持っておこう。

しかし、高度経済成長が終わり、石油危機が起こる頃になると、経済の国際化が進んでいく。閉鎖的な日本の金融市場を開放するよう、外国からの圧力が高まる中で、日本は「金融の自由化」を推進していくことになる。

バブル崩壊

「金融の自由化」を急速に進める要因となったのが、バブル経済の崩壊である。これにより不良債権(戻ってこない借金)が膨れ上がったことで、金融機関の経営は停滞し、中には倒産する銀行も出現した。国際化が進む中で、競争力のある銀行の必要性が迫られたこともあり、日本の金融自由化がより急速に進むこととなった。1996年には日本版金融ビッグバンが掲げられ、自由化・国際化がさらに進められていった。

②非伝統的金融政策

では今回の本題に移る。上に挙げたバブル崩壊後、日本経済は深刻なデフレーションに見舞われる。金融機関の破たんが相次いだこともあり、デフレ脱却のためにさまざまな金融政策が実施された。それまでの金融政策に比べ、大胆で斬新な政策だったことから、「非伝統的金融政策」と呼ばれる。

ゼロ金利政策(1999~)

まず初めに実施した政策が「ゼロ金利政策」である。この政策は、無担保コールレートを0%に誘導する政策であるが、無担保コールレートについては「社会全体の金利に影響を与えるもの」くらいに捉えておけばよい。日銀がこれを0%に誘導することで、市中銀行の金利をより低く抑えるように誘導していく。

金利が0%ということは、お金を借りても利子をつけずに返せばよいということ。お金が借りやすい状況を最大限作り出し、企業への融資などの資金供給増加を目指した。しかし、この政策を実施しても尚、資金の供給が思うように増えてこない状況になり、次の一手を打つこととなる。

量的緩和政策(2001~)

ゼロ金利政策を実施して上手くいかなかったため、率をこれ以上下げる政策は期待できない。そこで日本銀行は目標を「率」から「量」に変更させていく。これは、日銀が買いオペを実施して、日銀当座預金残高を5兆円程度に増額するというもの。

日銀当座預金とは金融機関が日銀に預けている預金であり、金融機関同士の決済や、日銀との取引に使われるものである。この預金を増やすことで、市中銀行が積極的に資金供給しやすい状況を作り、ゼロ金利政策以上の効果を狙った。

量的・質的金融緩和政策(2013~)

リーマンショックが発生した2008年以後もゼロ金利政策を実施していたが、2013年からは「異次元の金融緩和」と呼ばれる「量的質的金融緩和政策」が実施された。これは、買いオペによりマネタリーベース(日銀が社会に供給するお金)を年間60~70兆円のペースで増加させ、物価上昇率(インフレターゲット)前年比+2%という目標を目指すもの。

マイナス金利政策(2016~)

2013年からの「量的・質的金融緩和政策」を拡大する形で始まったのが、マイナス金利政策である。目標はマネタリーベース年間80兆円増加と、2%の物価上昇率となっているが、この方法として採用されたのがマイナス金利政策。その名の通り、日銀への預金にマイナス金利を適用するというものだが、これはどういうことか。

上の表のように、市中銀行が預金することに対し、本来プラスとなって返ってくるのが金利である。金利5%なら、100万預ければ105万で返ってくる。それがマイナスになるということは、預ければ預けるだけ、余分なお金が取られていくということ。預け損になるんだね。当時、社会全体に資金を供給することを目指していたにも関わらず、市中銀行は必要以上の資金を日銀に預けていた。そのため、この預金を出来るだけ社会全体の方向へ向けられるように、マイナス金利という方策を取った。

以上紹介したものをまとめて、「非伝統金融政策」と呼ぶ。その他にも、BIS規制やペイオフ制度など、バブル崩壊後に新たな金融のしくみを採用したものがあるので、併せて確認しておくといいのではないでしょうか。

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